三国志って、いろいろありすぎてよく分りません。
いったい何を読んだらお友達に「三国志を読んだよー!」って言えるんでしょうか。
歴史書の正史三国志は読まなくても、三国志を読んだ!って言えそうです。
でも、人気漫画の蒼天航路や
北方謙三さんの小説の三国志を読んでも、
それだけで三国志を読んだとは言えない気が。
(ひとの三国志談義の内容が分らない時がありそうです)
吉川英治さんの小説の三国志や、
横山光輝さんの漫画の三国志なら、
三国志を読んだことになりそうですね。
吉川英治さんや横山光輝さんの三国志の元ネタは
中国の白話小説の三国志通俗演義
(以下、三国志演義と呼びます)ですが、
そこでは劉備ばっかりえこひいきされています。
それは三国志演義が成立した頃に漢民族が北方の異民族の圧力を受けていたから
北の曹操を悪者にして南の劉備をひいきしたんだよ、ってよく言われますが、
それ本当かな。劉備さんは大元ネタの正史三国志の頃からえこひいきされていませんかね。
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少女向けアニメの王子様のような劉備
正史三国志の劉備の伝(先主伝)の冒頭を見てみましょう。
先主は姓を劉、諱を備、字を玄徳といい、
琢郡琢県の人で、前漢の景帝の子、
中山靖王劉勝の後裔である。
(中略)祖父は劉雄、父は劉弘といい、代々州郡につかえた。
劉雄は孝廉に推挙され、官位は東郡の范の令にまでなった。
先主は幼くして父を失ったが、母とともにわらじを売ったりむしろを編んだりして、生計をたてた。
なんだか、少女向けアニメの王子様のようですね。
今は貧しい暮らしをしているけれど、実は王様の血をひいているんだ。というパターン。
貴種流離譚ってやつです。
今はカエルだけどお姫様にキスされたら美しい王子様に変身しそうです。
まあ、これは実際にそうだと伝えられているからそうだと記録しただけなんでしょうから、
これだけで劉備がひいきされていると言うことはできません。
劉備と比べて血筋が劣る曹操
三国志演義で劉備の敵役になっている曹操が正史三国志でどのように描かれているか、
正史三国志の曹操の伝(武帝紀)を見てみましょう。
太祖武皇帝は、沛国譙県の人である。
姓は曹、諱は操、字は孟徳という。
前漢の時代宰相をつとめた曹参(?-前一九〇)の子孫である。
桓帝の時代(一四六-一六七)、曹騰が
中常侍・大長秋となり、
費亭侯に封ぜられた。
養子の曹嵩が爵位をつぎ、大尉の官にまで出世したが、
彼の出自については明確にできない。曹嵩は太祖を生んだ。
ううむ、劉備は漢の王室の末裔、曹操は漢に仕えた宰相の家の末裔。
曹操のほうが格下だと言いたげです。しかも、漢の臣下筋の家柄であるのに後に漢の帝を
ないがしろにする曹氏一族め悪いやつら、と言いたげです。
しかしまあ、これも、実際にそうだと伝えられているからそうだと記録しただけなんでしょうから、
これだけで劉備がひいきされているとか曹操が不当に貶められていると言うことはできません。
気になるのは、曹操の父親の曹嵩の出自についてです。
波動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志』
曹操の父親の出自は、わざとぼかされた?
曹操の祖父の曹騰という人は宦官(去勢を施された官吏)であり、
子ができませんから、家を存続させるために養子を迎え入れました。
それが曹操の父親の曹嵩ですが、正史三国志には「出自については明確にできない」とあります。
劉備サマは貴いお血筋だが曹操なんてどこの馬の骨だか分らないんだ、と言いたげです。
まあ、これも、実際に出自が不明だったからそう書いただけでしょ、と思いがちですが、
本当に不明だったから書けなかったってわけじゃないんじゃないの、と私は疑っております。
正史三国志の注釈にこんな一文があるからです。
呉の人の著作である『曹瞞伝』と
郭頒の『世語』ではともにいう。曹嵩は夏侯氏の子で、
夏侯惇の叔父である。太祖は夏侯惇に対して従父兄弟に当る。
『世語(魏晋世語)』の著者郭頒は正史三国志の著者陳寿と同じ
西晋の人ですから、陳寿もやる気を出せば
同じ情報を仕入れることができたんじゃないでしょうか。
呉の人の著作にも郭頒の著作にも同じ事が書かれているということは、
けっこう知られていた情報なんじゃないでしょうか。
もしかして陳寿は知っててわざと書かなかったんじゃないでしょうか。
曹操をどこの馬の骨とも分らない人として劉備との格の違いを歴然とさせるために。
なんの根拠もありませんけれども。
ただ者ではなさそうな書きかたをされる劉備
曹操の伝(武帝紀)では、出自の話のあとにはさっそく「太祖は若年より機知があり」と
性格の説明があって、その後の働きの様子が記されていますが、
劉備の伝では出自のあとにヘンテコエピソードが挿入されています。
劉備の家のかたすみある桑の木が貴人の乗る車の車蓋に似ていて
「(この家からは)きっと貴人がでるであろう」と予言されたとか、
劉備は手を下げると膝にまで届き、ふり返ると自分の耳を見ることができたとか。
占い師みたいな人から「この人は将来偉くなります」って言われてから偉くなったという伝説は、
たいていは実際に偉くなってしまった人について後付けで付与されるエピソードです。
皇帝になった劉備が調子に乗って「じつは俺、子供の頃さぁ」と作り話でもしていたのが
人々に語り伝えられたのを、陳寿が「作り話っぺえな」と思いながらしれっと正史に記述
したんじゃないでしょうか。
劉備の腕や耳が長すぎる(?)という人間離れした容姿の描写も、ただ者じゃないことを
示す作り話なんじゃないでしょうか(実際に若干長め(?)だったのかもしれませんが)。
中国古代神話の登場人物って、とにかくすっごい神だった、っていうイメージが膨らむに
つれてどんどん妖怪じみた容姿の設定が後付けされていますが、
正史三国志が劉備のことを異形の相の持ち主であったように記すのも、
神話と同様のパターンでしょう。
とにかくただ者じゃないすごい人だったんだ、って言いたいために、
陳寿は書けることは全部書いたのではないでしょうか。
陳寿は蜀の遺臣ですから、
蜀の初代皇帝の劉備を持ち上げたくなるのは自然なことです。
三国志ライター よかミカンの独り言
陳寿は世に伝えられている情報を一生懸命集めて三国志を記したのだろうと思います。
玉石混淆の情報のなかから、どれを採用してどれを却下するかを選ぶ時に、
劉備のことをよく書きたいという気持ちが働いたのではないでしょうか。
後世、三国志演義で劉備がいい人で曹操が悪い人というように書かれるようになった種は、
正史の三国志の時点ですでにあったと思います。
和訳引用元:ちくま学芸文庫 正史三国志
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