この記事では、井伊直弼の首があると言われていた豪徳寺について取り上げます。
豪徳寺は招き猫や猫を祀っている寺として有名です。
なぜネコで有名な寺が井伊家の菩提寺になったのか、その由来について紹介します。
西郷どん:全記事一覧はこちら
関連記事:島津斉彬の性格のダークサイドを紹介!贋金作りで軍資金を造る裏斉彬
関連記事:島津斉興の家系図はどこに繋がる?鎌倉から幕末までを網羅
この記事の目次
安政の大獄で首を討たれた井伊直弼が眠る豪徳寺とは?
※写真はイメージです。
1480年に世田谷城主・吉良政忠が豪徳寺を建てました。
1633年、2代目彦根藩主井伊直孝の代に、世田谷が彦根藩の管轄となります。
彦根藩の管轄となって以来、豪徳寺は井伊家の菩提寺となっています。
貧乏寺だった豪徳寺が井伊家の菩提寺になったのは猫のお陰?
豪徳寺は1480年に建てられましたが、貧乏寺でした。
しかし井伊直孝が鷹狩の帰りに豪徳寺付近を通ったときに転機が訪れます。
鷹狩の帰りに豪徳寺にいた猫が直孝を招き入れます。
直孝を招き入れた後、雷雨になったと言われています。
雨宿りをしていたとき、直孝は和尚さんの法談を聞くことができて喜びました。
大いに喜んだ直孝は、貧乏寺を立て直し、井伊家の菩提寺にしました。
猫に感謝してあちこちに猫が出てくる豪徳寺
豪徳寺には猫が奉納されています。
招福寺の左手には多くの招き猫が奉納されています。
招福殿だけでなく三重塔にも猫のデザインがあります。猫が井伊直孝を招き入れ、
貧乏寺から井伊家の菩提寺になったことから招き猫の発祥の地となり、
猫を大事にする寺として知られています。
井伊直弼以外にも歴代彦根藩主が眠る豪徳寺
豪徳寺には広い墓域があります。歴代の彦根藩主では、
2代目井伊直孝、6代目井伊直恒、10代目井伊直禔、
12代目井伊直幸、16代目井伊直憲の墓があります。
なお、15代目井伊直弼の墓もあると言われていましたが、
墓の修繕作業で首など遺骨が出なかったため、
豪徳寺に眠っていることについては疑問が残っています。
歴代彦根藩主だけでなく、正室や子供などの一族の墓も多数あります。
本当?豪徳寺に直弼の骨は無かった!
井伊直弼の首はどうなったのか気になる人がいると思いますが、
当初、井伊直弼の遺骨は豪徳寺にあると考えられていました。
2009年、墓の老朽化に伴い、修繕作業を行いましたが、
3メートル墓所を掘っても石室がないことが分かりました。井伊直弼の遺骨もないことが分かりました。
直弼の遺骨がないことで、直弼が豪徳寺に眠っていると考えられていましたが、疑問が残っています。
他に直弼が眠っていると考えられるお寺として、
『井伊直弼の首はどうなった?消えてしまった首の不思議』では、
天寧寺と天応寺を取り上げ、それぞれの寺の特徴について取り上げました。
最初に天寧寺について取り上げます。天寧寺は滋賀県彦根市にあります。
この寺は井伊直政が母親の供養にために建てられ、井伊家が代々私的に利用してきました。
井伊家断絶を避けるために、直弼の血に染まった衣服など証拠となるものを隠したと考えられ、
直弼の遺体を埋葬した可能性があると考えられます。
次に、天応寺について取り上げます。天応寺は栃木県佐野市にある井伊家の菩提寺です。
この寺には直弼の遺髪と辞世の句があることから直弼を埋葬した可能性があると考えられています。
現在、2009年に豪徳寺に直弼の遺骨がないことが分かって以来、
直弼の骨がどこにあるのか決着が付いていません。
豪徳寺のアクセス
豪徳寺は東急世田谷線の宮の坂駅から徒歩5分、小田急電鉄豪徳寺駅から徒歩10分の場所にあります。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は招き猫の由来となった井伊家の菩提寺豪徳寺について取り上げました。
豪徳寺は井伊家の菩提寺であり、井伊直弼の遺骨があると考えられていましたが、
骨がないことが分かり、直弼の骨がどこにあるのか気になります。今後の研究に注目したいと思います。
西郷どん:全記事一覧はこちら
関連記事:幾島とはどんな人?篤姫の尻を叩いて将軍後継者問題を進めた女スパイ
関連記事:島津斉興はどんな人?祖父への憎しみを子にぶつけた頑固で有能な藩主