坂本龍馬の虚実入り混じった名言、そこまで言ってええんかい!

2018年4月26日


 

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坂本龍馬

 

坂本龍馬(さかもと りょうま)のイメージといえば豪放磊落(ごうほうらいらく)で細かいことには気にしない男で雄大。

幕末時代に世界を見据えていたというようなものでしょうか。

 

坂本龍馬は歴史の中の実像とフィクションが混ざり合い、

現代の尊敬する偉人ナンバーワンの常連のようになっています。

 

確かに、傑出した人物であったのかもしれませんが、

一般に思われているのとは少し違ったイメージであったようです。

 

龍馬の残したといわれる名言にはフィクションのものと、実際のものとが混在して伝わっています。

実際の坂本龍馬はフィクションで描かれるような名言を残す人物だったのでしょうか?

今回は、そんな坂本龍馬の名言をフィクションと史実を混ぜながら紹介していきます。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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純情とエゲつなさを使い分けるそれが英雄ぜよ!

 

坂本龍馬が残したと伝わる言葉に

古来、英雄豪傑とは、老獪(ろうかい)と純情の使いわけのうまい男をいうのだ」がありますが、

これは司馬遼太郎(しば りょうたろう)が「竜馬がゆく」の中の登場人物である坂本龍馬に言わせた言葉です。

 

いかにも言いそうな言葉ですが、これはフィクションです

確かに史実の龍馬は、計算高い老獪な部分もありました。

そして純情な部分もあったのでしょう。

多くの史料を読み解いた司馬氏の作り出したキャラはある種のリアリティは持ちます。

 

しかし、それはエンタメとしてのリアリティであり、

実際の龍馬はかなり「金の計算に細かい」商売人のシビアさを持った人物

であったことを類推できる史料が残っています。

 

失敗したからって落ち込むな!次の方法を考えんか

 

おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ

こちらも、司馬氏の「竜馬がゆく」の中の坂本龍馬が言った言葉です。

この言葉もフィクションの中の坂本龍馬の残した言葉ですが、

いかにも坂本竜馬が言いそうな感じがします。

それだけ司馬氏の作り上げた龍馬のイメージの影響が大きいのでしょう。

 

世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る

という句を坂本龍馬は16歳のときに詠んだと伝わっています。

俺は俺、人は人であり、人の言うことなど知らないというような意味でしょうか。

わが道を行くという意味でしょうか。

 

確かに、他人と違う自分自身で物を考えるんだという意味の言葉は残しているようです。

司馬氏がこの言葉からイメージを膨らませて言ったのかもしれません。

 

俺達尊攘派

 

慎重、慎重という奴は出世なんぞできん下っ端!

 

慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。

慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ

という名言も出典は司馬氏の「竜馬がゆく」ですね。

 

「何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり」

という言葉があるのですが、これは出典が不明です。

坂本竜馬が本当に残した言葉とすれば、司馬氏はこの言葉からイメージを膨らませたのかもしれません。

 

そもそも、龍馬の実家は商人が土佐の下士になった家です。

裕福な商人で、先祖には几帳面に日記を残し、

当時の経済情勢などの変化などを示す一次史料となる物を残している人もいます。

 

商人にとっては、決断すること、とにかく動くことが重要な局面があります。

商人の家で育った坂本龍馬には侍とは一味違った、決断のタイミングがあったのではないでしょうか。

 

あくどい手は最後の最後まで取っちょけ!

 

奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し

あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである

という言葉も多くのサイトで龍馬の言葉として紹介されていますが、

これも司馬氏の「竜馬がゆく」が出典です。

 

本当に今の坂本龍馬像を作り上げた司馬氏の功績の大きさを感じてしまいます。

それだけ、司馬氏の小説は「上手い嘘」で作られた上質なエンタメ小説ということでしょう。

 

史実でも坂本龍馬は「いろは丸沈没事件」では、

当時の価値観からすればかなりあくどいというか巧妙な手段で、

御三家の紀州藩を追い詰めて生きます。

 

侍の型にとらわれない経済の分かっている坂本龍馬ゆえに、

普通の侍には見えない奇策が見えていたということは、史実で散見できますので、

そのあたりを司馬氏が膨らませ、上手くし立てたのではないでしょうか。

   

語りたいなら、まず見て来い!話はそっからぜよ!

ペリーと黒船

 

万事、見にゃわからん」という言葉も司馬氏の「竜馬がゆく」ですね。

本当にどんだけ今の人の坂本龍馬像を作り上げていったのかという感じです。

 

ただ、似たような言葉を残していることは坂本龍馬の行動や、残している史料からは推測できます。

形式や型にはまらないという点で描いている部分では、

司馬氏の「竜馬」は「龍馬」と共通点をもっているのかもしれません。

 

恩やら義理やらクソくらえじゃ!自分を縛るな

呂布と袁術

 

義理などは夢にも思ふことなかれ身をしばらるるものなり」は実際の竜馬の言葉のようです。

最近、明治維新の再評価を行い、

明治維新批判を繰り返している著書を出している方はこの言葉を

「身勝手な死の商人の言葉」と批判していました。

 

しかし、それは言いすぎでしょう。それを言えば夏目漱石(なつめ そうせき)も同じようなことを小説で書いています。

義理はどうしても人を縛って、正しい判断ができなくなります。

それはビジネスの現場ではよくあります。

この言葉はよくビジネス書に取り上げられています。

 

商売は基本ドライなものです。あえて、偽悪的なまでに義理を否定することで、

その弊害を指摘したのが坂本龍馬ではないでしょうか。

 

明治維新批判を繰り返している方の言うように、

坂本竜馬が義理を重んじない血を流すのをなんとも思わない死の商人である、

という話にはちょっと首肯できません。

過大評価され気味の坂本龍馬ですが、全否定される人物ではありません。

 

幕末ライター夜食の独り言

 

今の人たちのイメージする坂本龍馬を作ったのは司馬遼太郎かもしれないと思うほどに

「竜馬がゆく」の影響力は大きいのだと再認識させられます。

 

ただ、歴史小説でエンタメであるから、デタラメであるということではなく、

司馬氏は司馬氏なりに龍馬を膨大な史料の中で消化し、

ひとつのキャラクターとして作り上げたのでしょう。

 

それは史実の龍馬と違うかもしれませんが、史実の龍馬がそれに近いことを発言していたり、

そのような行動をとっていたことは、見て取れる部分があります。

 

ただ、豪放磊落で豪快な司馬遼太郎の描く竜馬よりは、

かなりシビアで金に細かい経済人であったようです。

司馬氏の影響で、評価の難しくなった人物は多いですが坂本龍馬もそのひとりではないでしょうか。

 

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