松平春嶽がいなければ坂本竜馬が歴史に名を残すことはなかった!?

2018年5月29日


 

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松平春嶽

 

「我に才略無く我に奇無し。常に衆言を聴きて宜しき所に従ふ」の名言を残した松平春嶽(まつだいらしゅんがく)

上記の名言は自分に才能が無いので、皆の意見を聞いて従う

(レンの解釈です)とかなり謙虚(けんきょ)な姿勢が(うかが)えます。

 

松平春嶽はこの名言の通り色々な意見を聞いていますが、

その意見の中に浪人時代の坂本竜馬(さかもとりょうま)の意見もありました。

竜馬は春嶽と会った事で日本の歴史は大きく変化することに。

そしてもし竜馬が春嶽と会っていなければ、竜馬が歴史の表舞台に出ることはなく、

一生脱藩者(だっぱんしゃ)の日陰者だったかもしれません。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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福井藩藩主松平春嶽、浪人坂本竜馬と出会う

坂本龍馬

 

福井藩の殿様・松平春嶽は、浪人時代の坂本竜馬と会見することになります。

しかしここでひとつ疑問が浮かびませんか。

普通に考えて浪人が殿様に会うことなんて奇跡が起きない限り、不可能です。

また殿様が浪人を呼び寄せる事も普通に考えてありえません。

ではどうして竜馬が春嶽と会見することができたのでしょうか。

 

どうして一浪人が殿様と会えたの!?

 

どうして竜馬は春嶽と会見することができたのでしょうか。

竜馬と春嶽を結びつけたのは、竜馬が通っていた千葉道場の師範・千葉貞吉(ちばさだきち)です。

彼は福井藩の剣術指南役をつとめていたそうです。

 

そして千葉貞吉は可愛い弟子・竜馬の為に松平春嶽との会見の仲介者として動いたそうです。

竜馬はこうして松平春嶽と会見することができたのです。

そしてこのふたりが会見することで日本の歴史は大きく変化することになるのです。

 

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松平春嶽と知り合いになった事で竜馬の人生が大きく変化する!?

勝海舟

 

竜馬は松平春嶽と会見したことがきっかけで大きく世の中に羽ばたくことになり、

日本の歴史を大きく変化させることになるのですが、

春嶽と会った事で竜馬が何が変わったのでしょうか。

 

まず竜馬が松平春嶽と会見したことによって大きく変化した事は、

勝海舟(かつかいしゅう)らと知り合うことができた事です。

竜馬は春嶽から勝海舟や横井小南(よこいしょうなん)らと会えるように紹介状をしたためて渡します。

 

竜馬は春嶽からもらった紹介状を持って勝海舟と会うことができ、

勝海舟と会った事で竜馬の見識が増え、歴史に名前を残す大きな仕事ができる

経験を積むことができたと言えるでしょう。

 

もし竜馬が春嶽に会うことが出来なければ、竜馬と勝海舟は会うことは無かったでしょう。

そうなれば日本の歴史は大きく変化することになったと思います。

他にも竜馬にとって利点はありました。

 

それは春嶽と顔見知りになった事で海軍操練所(かいぐんそうれんしょ)を作る際に資金援助をしてくれることになります。

そして竜馬はこの海軍操練所で世界の知識や船の操船の仕方などを学ぶことになります。

ところで春嶽は竜馬にどれくらいの金額を資金援助とししたのでしょうか。

春嶽は竜馬へ5千両もの金額を援助したそうです。

 

現代の金額に直すとなんと約11億円にも登る超多額な金額を援助しています。

もし竜馬が春嶽と会うことがなければこの莫大な資金援助もなく、

海軍操練所もできずに終わっていたでしょう(後にこの海軍操練所は閉鎖することになります)。

 

このように竜馬にとって松平春嶽は大恩人であると共に、

春嶽がいなければ竜馬が歴史に名前を残すこともできなかったでしょう。

このように考えると春嶽と竜馬の会見は歴史を大きく変えたとの見方も出来るでしょう。

   

幕末ライター黒田レンの独り言

幕末ライター黒田レンの独り言

 

松平春嶽は竜馬の大恩人とも言える人物で、幕末四賢侯の一人に数えられるほど優秀な殿様でした。

明治になると大蔵卿(おおくらきょう)民部卿(みんぶきょう)などの重役を歴任した後、政界を退いて隠居生活をしたそうです。

そんな春嶽ですが幕末の大河ドラマには大体登場しており、

竜馬伝や現在放映されている大河ドラマ「西郷どん」にも登場しています。

 

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