キングダム
南蛮征伐




はじめての三国志

menu

西郷どん

西郷慎吾(従道)はどんな人?大器だが能天気な西郷どんの弟

西郷従道 幕末




西郷従道

 

西郷どんには、何名かの弟がいますが、西郷どんの死後も

政界で活躍した人といえば、西郷従道(さいごうつぐみち)でしょう。

彼は西郷どんに匹敵する器と称され、小西郷と呼ばれます。

当初は兄と比べると勇敢ですが、とてもぼんやりした感じの人でした。

 

しかし、西南戦争で兄を失い、翌年、政府の大黒柱大久保利通(おおくぼとしみち)が死ぬと

従道は明治政府を引っ張る政治家としての役割を負い、

いかにも大将らしい、大きな力量を発揮していくのです。

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:大久保利通の死後、子供たちはどうなったの?八男一女を紹介

関連記事:【西郷どん】おゆうとはどんな人?大久保一蔵(利通)を支えた愛人

 

 

兄より過激な攘夷志士になった西郷慎吾

西郷慎吾

 

西郷従道は、1843年天保十四年、西郷吉兵衛(さいごうきちべい)の三男として誕生します。

兄である西郷隆盛(さいごうたかもり)とは、15歳も年が離れていました。

 

幼名は竜介で、剣術は薬丸自顕流(やくまるじけんりゅう)、兵学を伊地知正治(いじちまさはる)に学び

有村俊斎(ありむらしゅんさい)の推薦で島津斉彬(しまづなりあきら)の茶坊主として仕えます。

茶坊主というと、お茶を立ててばかりいそうですが、

薩摩藩の茶坊主は雑用係で貧しい武士に小遣い銭を与える仕事で

従道も色々な事をやっていたようです。

有馬新七

 

1861年、18歳で元服し本名を隆興(りゅうこう)、通称を慎吾(しんご)にすると、

島津斉彬を信奉する精忠組(せいちゅうぐみ)に入ります。

そこでは、大久保より急進派の攘夷主義者(じょういしゅぎしゃ)有馬新七(ありましんしち)の大きな影響を受け、

従兄弟の大山巌(おおやまいわお)と共に過激な攘夷派志士になりました。

 

 

寺田屋事件で謹慎処分を受けるが薩英戦争で復権

島津久光

 

藩父、島津久光が実権を握り、上洛を計画すると京都にいた

有馬新七等、精忠組は湧きたちました。

久光が亡き、斉彬の遺志を継いで倒幕に立ち上がったと思ったのです。

 

しかし、久光はより穏健な公武合体派で幕府寄りであり、

有馬新七等の過激な尊皇攘夷派に決起を止めて藩に帰るように

説得すべく、同じく精忠組の大久保一蔵(おおくぼいちぞう)海江田武次(かいえだたけじ)信義(のぶよし)

奈良原喜左衛門(ならはらきざえもん)を派遣して、説得に当たりますが失敗しました。

 

有馬新七は、すでに倒幕決起を諸藩の尊王攘夷派と約束しており、

信義に賭けて中止できないと(かたく)なだったのです。

島津久光

 

久光は力づくで決起を止めるように厳命し、従わなければ殺せと言い含め

手練れを選抜し、奈良原喜八郎、大山格之助(おおやまかくのすけ)道島五郎兵衛(みちしまごろべい)鈴木勇右衛門(すずきゆうえもん)

鈴木昌之助(すずきまさのすけ)山口金之進(やまぐちかねのしん)江夏仲左衛門(えなつちゅうざえもん)森岡善助(もりおかぜんすけ)追補使(ついほし)

最後の説得の為に、伏見の寺田屋に急行します。

血しぶき

 

こうして、1862年、5月21日に凄惨な同士討ち、寺田屋事件が発生します。

有馬新七は説得を拒否して斬り合いになり斬殺されますが、

二階にいた従道や大山巌は、奈良原喜左衛門の必死の説得で投降しました。

決起派は6名が死に、2人が重傷を受けて切腹、追補使側も1名が死んでいます。

 

従道は、まだ若く扇動されたのみとして処分は帰藩の上で謹慎という

軽い処分で済みます。

しかし、薩英戦争(さつえい)が起こると、人手不足の為に許され、従道は西瓜売(すいかう)りに化けて

イギリス艦隊に斬り込みを仕掛けるという奇策を出すなどして奮戦

このお陰もあってか謹慎も解けて復権しました。

 

【西洋文明に遭遇した日本の開国秘話に迫る!】
こんにちは西洋

 

戊辰戦争では兄に従い各地を転戦

新政府の兵士

 

以後、従道は沖永良部(おきのえらぶ)から戻ってきた兄の部下として戊辰戦争(ぼしんせんそう)で転戦します。

体を貫通するような銃創(じゅうそう)を受けたようですから、前線で指揮をしたのでしょう。

戊辰戦争が終わると、従道は長州の山県有朋(やまがたありとも)と共に、軍制改革の為に

欧州へと派遣されました。

 

明治3年には帰国し、兵部権大丞陸軍少将(ひょうぶごんのだいじょう・りくぐんしょうしょう)になります。

この頃、薩摩に隠遁していた西郷が政府の要請で廃藩置県(はいはんちけん)を断行する為に、

陸軍元帥(りくぐんげんすい)の肩書で東京に戻ってきました。

まだ、所帯を持っていなかった従道は、荒れ果てた元の旗本屋敷で、

兄と同居して暮らしていたようです。

 

質素を旨とした西郷隆盛は、陸軍元帥の豆腐のような厚さの給与袋も

無造作に縁側に置いたりしていたので、従道はそのお金で

遊郭に繰り出して豪遊したりしていたとの事です。

 

しかし、清貧にして私事に拘らない兄との生活は従道に大きな影響を与え

「おいは兄さんには及ばんわい」が従道の口癖になりました。

 

明治六年の政変で兄と運命を分つ

兄が亡くなり悲しむ

 

兄との同居生活は、征韓論(せいかんろん)を発端とする明治六年の政変で終りを告げます。

大久保と袂を分った西郷、板垣退助(いたがきたいすけ)後藤象二郎(ごとうしょうじろう)江藤新平(えとうしんぺい)副島種臣(そえじまたねおみ)等は

政府を離れて下野し、薩摩藩出身の官吏も大勢が西郷について鹿児島に帰ります。

 

この時、西洋を視察していた従道は、兄の考えの無謀なるを見て

自分の意志で東京に留まったと言われていますが、そうではなく

従道も帰ろうとしましたが、西郷から「お前は残れ」と説得され

帰るのを断念したと従道の妻の清子は証言しています。

西郷隆盛

 

この別れが兄弟の最期になります。

西南戦争では、従道は征討に向かった陸軍卿山県有朋の後を守り、

陸軍卿代理として東京に留まりました。

西郷隆盛が城山に自決したと聞くと、黙って庭に出て、

ずっと空を眺めていたと言われています。

 

仕事は部下に任せ責任は自分が負う便利屋大臣

便利屋大臣

 

兄が死んで8か月後、西郷を葬り政府で独裁的な権力を奮った大久保利通も

紀尾井坂の変で凶刃に倒れて亡くなります。

そこから、従道は参議に任命され、軍人ではなく政治家の道を歩む事になります。

 

従道は便利屋大臣として、総理以外の何の大臣を頼まれてもホイホイ引き受け

仕事は実務が出来る部下を信任して全てを任せ、責任だけを取りました。

担当大臣として質問を受けても、

 

「私には分かりません、部下に出来るのがいるので説明に寄こしましょう」

というばかりで平然としていたと言われます。

 

このような形が最も成功したのが海軍で、有能だが我が強く上司と衝突してばかりの

山本権兵衛(やまもとごんべい)に海軍の全てを任せたのです。

黒船

 

この頃の海軍は薩摩閥の巣窟で縁故主義がまかり通っていましたが、

山本は従道の絶大な信任を背景に猛烈なリストラを断行して

無能な将官を一掃し、機能的で能力主義の海軍を組織しました。

この劇的な刷新が無ければ、日清戦争の黄海海戦(こうかいかいせん)や日露戦争の日本海海戦も

勝利は覚束(おぼつか)なかったでしょう。

 

日本の近代化に足跡を残し明治35年に死去

 

陸軍と海軍でそれぞれ栄達を果たした従道ですが、再三の要請にも関わらず

総理大臣の話だけは断り続けました。

名誉を回復したとはいえ、逆臣の兄を持つ身で総理にはなれないというのです。

同じく、従兄弟として日露戦争で日本を勝利に導いた大山巌も、

総理だけは、頑なに拒否したと言われています。

 

西郷隆盛と大久保利通亡き後、その後の明治政府を引き継いだ従道は、

日本の近代化に大きな足跡を残し、日露戦争の直前、1902年、

明治35年に胃癌(いがん)により、59歳でこの世を去りました。

 

幕末ライターkawausoの独り言

幕末ライターkawausoの独り言

 

西郷従道は馬主の顔も持ち、1875年には愛馬ミカンに騎乗して

日本レース倶楽部で初勝利を挙げています。

これは、レース出場が認められた日本人馬主としては初の事でした。

 

また、従道は派手な遊郭遊びでも有名な人であり、

新橋芸者の桃太郎(本名ナカ)に随分と入れあげて熱心に通い

ついに妾にして五人の子供を産ませています。

 

明治10年頃、西南戦争終結の前後に、従道は桃太郎に振られ大きなショックを受け

「桃太郎には逃げられるし兄さんは亡くなるしもう政府はお仕舞いだ」

号泣していたという話があります。

 

馴染みの芸者に逃げられたのと、兄の死を同じ悲しみと表現しているのが

いかにも鷹揚(おうよう)な従道らしいように感じますね。

 

西郷どん:全記事一覧はこちら

関連記事:西郷隆盛は大家族!幕末ビッグダディを解説

関連記事:愛加那(あいかな)と西郷どんの子供達の人生とは?

 

【攘夷魂!テロに走ったサムライ達】
俺達尊攘派

 

kawauso

kawauso

投稿者の記事一覧

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

好きな歴史人物:

西郷隆盛、勝海舟、劉邦、韓信、、etc

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

関連記事

  1. 黒船(ミシシッピ号) プチャーチンの世界史、日本来航に隠された理由
  2. 上野彦馬とはどんな人?偉人を撮り続けた写真家
  3. 平野国臣 平野国臣、最初に「日本人」を名乗った先駆者の孤高の生涯とは?
  4. 大隈重信 大隈重信とはどんな人?早稲田大学の創設者の人生を年表で紹介
  5. 西郷隆盛は本当に「ごわす」「おいどん」と鹿児島弁を言ってたの?
  6. ピストルを乱射する坂本龍馬 坂本龍馬の虚実入り混じった名言、そこまで言ってええんかい!
  7. 流刑生活は意外に快適?奄美大島を満喫西郷どんを巡る旅
  8. 吉田松陰留魂録はどんな内容?いつ書かれたの?

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

  1. 野望が膨らむ鍾会
  2. はじめての三国志からのお知らせ バナー
  3. 南蛮胴を身に着けた織田信長
  4. キングダム
  5. 梁興と馬騰
  6. 劉備と曹操
  7. 袁術を励ます魯粛
  8. はじめての三国志からのお知らせ バナー
  9. 歳をとっても元気な孔明

おすすめ記事

  1. 孔明によって殺害されてしまった劉封、実は○○から逃亡するようにアドバイスを受けていた! 劉封
  2. 【水滸伝】史進の活躍は最初だけ?108星最初の豪傑の最期も呆気なかった 史進(水滸伝)
  3. キングダム582話休載スペシャルvol2李牧のリアルな軍勢とは? キングダム52巻
  4. 【はじめての孫子】第5回:戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり 南蛮一の軍師・孟節(兵士を裏切る)
  5. 『ろくでなし三国志 本当はだらしない英雄たち』の批評が過激的!あなたの好きな英雄もdisられている?
  6. 【キングダム】王翦・王賁の血筋は楚漢戦争時代にも登場していた!? 王賁

三國志雑学

  1. キレる劉備になだめる黄権
  2. 孔明
  3. 曹植を暗殺しようとした曹丕を止める卞皇后
  4. 劉禅と孔明
“はじめての三国志150万PV" “はじめての三国志Youtubeチャンネル" “広告募集" “誤字・脱字・誤植などの報告フォーム"

はじめての三国志 書籍情報

朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ (桃園出版 三国舎)

著:kawauso 価格480円
※Kindle読み放題対応

ピックアップ記事

  1. チビってしまう司馬懿と孔明
  2. 孫権 劉備 対立
  3. 過労死する諸葛孔明
  4. 袁紹と曹操
  5. 魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

おすすめ記事

【はじめてのスキッパーキ】どうして?スキッパーキのしっぽ(断尾)の話【第3話】 黄月英 諸葛亮の奥さん(黄夫人)は本当に醜女だったの? 愛加那(あいかな)と西郷どんの子供達の人生とは? ここを押さえれば大丈夫!NHK大河ドラマ『真田丸』を100倍楽しむ方法! 【これは悲しすぎる】今や忘れさられた袁術の墓 公孫瓚特集:悔しかったら雨を降らせてみろ・その2 【真田丸】三谷幸喜ならやりかねない?実は生きていた真田信繁!!頴娃にある伝・真田墓に訪れてみた 魏曹操と魏軍と呉軍 情報も貴重な戦力!天候は戦場の勝敗の行方を左右する天候事情

はじさん企画

“if三国志" 英雄の死因 “三国志とお金" “はじめての漢王朝" “はじめての列子" “はじめての諸子百家" “龍の少年" “読者の声" 袁術祭り
李傕祭り
帝政ローマ
広告募集
まだ漢王朝で消耗してるの?
HMR
ライフハック
君主論

ビジネス三国志
春秋戦国時代
日常生活
曹操vs信長
架空戦記
ライセンシー
北伐
呂布vs項羽
英雄の武器 編集長日記
はじめての三国志TV
“曹操孟徳" “黄巾賊" “赤壁の戦い" “THE一騎打ち" “夷陵の戦い" “kawausoのぼやき記事" “よかミカンのブラック三国志" 英雄の墓特集 誤字・脱字・誤植などの報告フォーム
“西遊記"

“三国志人物事典"

“はじめての三国志PR募集法正"
PAGE TOP