こんにちは。光月ユリシです。
拙著「三国夢幻演義 龍の少年」に関心を持ってくださり、ありがとうございます。
小説には必然的に当時の地名がたくさん出てきますが、
皆さんも三国志を楽しむ上で地図とにらめっこした経験があると思います。
ということで、解説2回目は地名について補足・説明したいと思います。
命をつかさどる山・泰山について
【本文1】小説の序盤でまず鍵となる場所が、泰山です。単独の山を言うのではなく、辺り一帯
の連峰を一まとめにして「泰山」と呼びます。泰山の最高峰は標高1545メートル。
物理的に登れない山ではありませんし、
当時も山道が整備されていたに違いありません。
泰山は昔から名前も変わらず、その重要性も変わりません。
儒教や仏教だけでなく、道教においても聖山で、
“五岳独尊(ごがくどくそん)”と尊ばれて、中国の五元札に描かれています。
黄巾賊が信仰した太平道は道教の前身なので、黄巾賊にとっても聖山でした。
また、仏教では、泰山の地下には泰山地獄があるとされます。小説に登場した黒い龍
(あの人物の魂)が落下していく様子は、それをほのめかしています。
泰山太守を務めた応劭の「風俗通」という書物に人の寿命を記した金篋・玉策(きんい・
ぎょくさく)の話が出てきますが、
これも孔明が泰山を訪れる理由として参考にしています。
地名における「陰」と「陽」
【本文2】三国志に見える地名には地形にちなんだものが多く、
それを知ると、地図上に見えなかった山や川が浮かび上がってくるようで面白いです。
地名で特に多く見かけるのが「陽」の文字。
日本にも「山陰」や「山陽」といった地名がありますよね。
其之一の冒頭に登場した蒙陰という地名は蒙山の北という意味で
す。陰陽思想では、「陰」は山の北、「陽」は山の南を表します。
ちなみに、川を基準にする場合だと逆になります。
つまり、川の北が「陽」、川の南が「陰」です。
後漢の都・洛陽は洛水という川の北側、
荊州の州都・襄陽は襄水という川の北側に位置しているので、そう言います。
ややこしいやら、面白いやら。
郡国制度をおさらい
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、知らない方のために基本情報を一つ。
この小説が描かれている後漢時代では、郡国制度が採られています。
郡の行政長官を「太守」、国の行政を王に代わって代行するのを「相」と呼びます。
郡と国の違いを簡単に説明すると、王がいない土地(郡)か、いる土地(国)かで、ほぼ同義です。
太守と相もほぼ同義と言えます。
その郡国の下に県があって、大県の長官を「令」、小県の長官を「長」といいました。
郡太守、国相、県令、県長、いずれも中央政府から任命されます。
郡国をいくつかまとめた行政範囲が「州」です。
州の長官を「刺史」(しし)といいましたが、刺史は兵権を持たず、
郡国を巡察するのが主な役目でした。
しかし、各地で反乱が続いていた当時でしたから、
州にも兵権を与えようという制度改革があって、
刺史は兵権を持った州の長官「牧」(ぼく)と改称されます。
光月ユリシの独り言
今回の解説は以上です。
このような知識があれば、三国志をより楽しく理解できると思います。
このような作品を書くにあたって、地理の情報は欠かせません。後漢時代の地図を見
て昔の地名、位置や地勢を確認したり、距離や移動に要す日数を計算したり、
地理好きな私にとって、それは時間忘れるくらい楽しいことだったりします。
実は私は現在中国在住です。
趣味が高じてと言いますか、この小説のロケハンを第一理由に中国へ渡り、
仕事の傍ら、各地を旅行しております。
残念ながら、まだ泰山には行ったことがありません。
ですが、いつの日か必ず訪れて、自分の目と心で泰山を感じたいと思っています。
実際に住んでみるとわかるのですが、中国は、それはもう本当に広いです。地図上で
近いと思った場所も車や電車で数時間かかることはざらで、この広い世界を馬や馬車、
徒歩で移動していたとなると、それはとんでもない苦労だったと思います。
北から南へ、東から西へ。
孔明の疎開の旅がたいへんなものであったことは想像に難くありません。
すごいな~、孔明。
でも、三国志の登場人物で、生涯で一番移動したのは劉備のような気がします。
皆さんは誰だと思いますか?
三国夢幻演義 龍の少年 第2話:「龍の目覚め」
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