「三国志」でよく見かける「字(あざな)」とは?どんな時に使うの?

2021年10月20日


 

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北方謙三風ハードボイルドな豪傑(曹操・劉備・孫堅)

 

三国志」の小説やゲームなど様々なメディアで見かける「あざな」。

 

靖王劉勝の子孫と勝手に名乗る劉備

 

例えば、「劉備(りゅうび)、字は玄徳(げんとく)」「関羽(かんう)、字は雲長(うんちょう)」のようなものです。人物に対する呼び方も「劉玄徳」や「玄徳」など「字」の使用法は様々です。

 

 

今回の記事ではその「字(あざな)」とは何なのか探ってみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「字(あざな)」とは?

西遊記巻物 書物_書類

 

昔の中国において実名以外に付けた名前の事を「字(あざな)」と言います。これは成人のみに使われ、儒教の「礼」に関する論議をまとめた本「礼記(らいき)」に、「男子は20歳で冠を着け字をもった」「女子は15歳でかんざしを着け字をもった」と書かれています。

 

曹操・曹丕・曹叡の3代に仕えた朱霊

 

ちなみに少なくとも三国志の時代に字を持っていたのは身分が高い人だけで、庶民は字を持っていませんでした。

 

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三国志ライフ

 

 

 

三国志時代における名前の構成

悪の正義バットマン風 曹操

 

三国志の時代などの昔の中国の名前は

姓(氏)

諱(名、いみな)

字(あざな)

の3つで構成されています。

 

水魚の交わりと説明する劉備

 

例えば「劉備玄徳」ですと劉(姓)+備(諱)+玄徳(字)となります。

 

諸葛亮孔明の天下三分の計に感化される劉備

 

姓、諱、字ともに文字数に制限はなく、有名な人物ですと諸葛(しょかつ)(姓)+(りょう)(諱)+孔明(こうめい)(字)は姓が2文字です。

 

左遷される劉邦

 

殆どの人の「字」は「玄徳」「孔明」など2文字ですが、前漢の初代皇帝劉邦(りゅうほう)」の字は「季」と1文字です。

 

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楚漢戦争

 

 

呼び方

三国_趙雲と劉備_ちょううん_りゅうび_人物

 

あざなを持つ人は通常はあざなで呼ばれていました。親しい間であればあざなで呼び合っていたようです。また、当時は「(いみな)」で呼びかけることは極めて失礼とされていました。その為、諱で相手を呼ぶことが許されるのは親や主君など自分より目上の人に限られていました。

 

これは「本名はその人の霊的な人格と深く結びついており、その名を口にすると相手を支配できる」と考えられていたため、と言われています。

 

劉備の下で働くと決めた趙雲

 

これらの事から、位の高く、諱で呼びかけることが可能な人が位の低い人を敢えてあざなで呼びかけることは、相手に大きな敬意を払っていることになりました。

 

 

三国志演義_書類

 

例えば劉備は小説「三国志演義」などで諸葛亮の事を「孔明」とよく呼んでいますが、これは劉備が孔明に高く敬意を払っていることを示しています。また、相手が役職についている場合は「諸葛丞相」「関将軍」など姓+役職で呼ぶことが最優先されていました。

 

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趙雲

 

 

名乗り方

劉備

 

自己紹介をする場合は姓+字で名乗っていました。

 

例えば

「私は劉玄徳です。」

「俺は張翼徳(ちょうよくとく)だ。」みたいな感じです。

 

株式会社三国志で働く劉備と孔明

 

上司や目上の人に対しては姓+諱を名乗り、あざなを自称することはありませんでした。

「劉備です。」

張飛(ちょうひ)です。」

みたいな感じです。

 

張飛の虎髭

 

ちなみに作品ごとにあざなが異なる人物もいて先述の「張飛」は小説「三国志演義」ではあざなは

「翼徳」

ですが、正史「三国志」では

「益徳」

となっています。

 

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三国志平話

 

 

字(あざな)の付け方

イケメン孫策と袁術

 

あざなの付け方には決まったルールは決められていませんが、いくつかの傾向が見られます。なかでも多いのは生まれた順番によってつけられたあざなです。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

長男=「伯」孫策(そんさく)(伯符)、鄧芝(とうし)(伯苗)、姜維(きょうい)(伯約)など

次男=「仲」司馬懿(しばい)(仲達)、虞翻(ぐほん)(仲翔)、許褚(きょちょ)(仲康)など

 

これによってあざなをみるとその人物がどのような生まれなのかが大体わかりますね。

 

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呉の武将

 

 

日本における字(あざな)

タヌキ徳川家康

 

あざなの文化は漢字圏で見られるもので、日本でも例外ではありません。日本においても諱は「忌み名」と言われ、特に高い身分においては諱を呼ぶことは避けられてきました。例えば「徳川家康(とくがわいえやす)」は「次郎三郎」というあざな(通称)を使用していました。

 

また、官職名でよぶことも多かったようです。

例:

浅野長矩(あさのながのり)浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)

大岡忠相(おおおかただすけ)大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)

 

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ガンバレ徳川

 

ほのぼの日本史

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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