三国無双では病弱なキャラクターとして描かれている郭淮。ゴホゴホと咳ばっかりし、貧弱な体をしている姿が特徴的なのが三国無双の彼ですが、史実でも本当にそんな弱弱しい武将だったのでしょうか。でも弱弱しい武将だったら戦場に出ることなんてできない筈ですし、後年魏の重鎮となり蜀との戦いに耐えられるはずもありません。そこで今回は郭淮の病気について紹介したいと思います。
郭淮は病気にかかっていたのか。
郭淮は史実では三国無双に登場するキャラクターのように病弱な武将だったのでしょうか。果たしてどうなのでしょう。
病気にかかって戦に出られなかった
郭淮は史実でも病気にかかっている記述が二度見られます。一度目は定軍山での戦いです。郭淮は夏侯淵の司馬として漢中に派遣されます。その後郭淮は劉備軍が漢中に攻め込んでくると夏侯淵と共に戦うはずでした。
しかし郭淮は病にかかって戦に出ることができず、定軍山での戦いは夏侯淵が討ち取られてしまい終了してしまいます郭淮が病にかかったのは正史三国志に記述が記載されており、三国無双のようにゴホゴホと咳をしながら臥せっていたのではないかなとイメージすることができますね。
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曹丕にブチきれられる
郭淮の病気の記載は正史三国志は定軍山での戦いのほかにもう一つあります。それは曹丕が皇帝になった時です。曹丕は皇帝になると魏の諸将や文官からお祝い品や言葉をたくさんもらいます。このとき郭淮は病にかかってしまい曹丕の元に行くのが遅れてしまいます。
そして曹丕の元についた郭淮は遅れて登場して曹丕にお祝い品と言葉を送るのでした。しかし曹丕は郭淮へ「君。みんなはとっくにお祝いの言葉や品を送ってくれたのにどうして遅れたんだ。古代では禹では遅れて来た者を処刑したと言われているぞ」と激怒しながら言葉をぶつけます。すると郭淮は「しょうがないじゃないですか。病気にかかっていたんだから。また禹の時代に私が遅れて来たとしても禹は民を徳で治めていたので私が処刑されることはほぼありえないでしょう」とやり返します。
曹丕は郭淮のこの言葉を聞いて彼のことを気に入り、後に郭淮を雍州の刺史代行に任命し、射陽侯を与えるのでした。郭淮と曹丕の微笑ましいエピソードですが一歩間違えば郭淮が処刑されていたかもしれないことを思うと彼の知識の深さと弁舌の鮮やかさをうかがうことのできる証左といえるでしょう。
郭淮はあまり病気にかかっていない!!
話がずれてしまいましたが、正史三国志によると郭淮が病にかかったのはこの二つのエピソードのときだけです。この二つのエピソード以降、郭淮が病にかかったとの記述は無く、バリバリ戦へ出陣して魏に侵攻してくる蜀軍を何度も撃退しています。そのため三国無双に登場するような病気がちでゴホゴホ咳ばかりしているようなひ弱な武将ではなく、たまたま大事な出来事のときに病気にかかってしまったというちょっと残念で可哀想な武将だといえるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
三国無双ではひ弱なイメージの強い郭淮ですが、史実ではひ弱な武将として描かれていません。しかし三国無双のイメージが強いのでムキムキのマッチョで肌の色も黒い郭淮ですとちょっとイメージが崩れてしまい想像できないですね。
でももしかしたら夏でも冬でも季節を選ぶことができないので、三国無双のようにガリガリではなく、上記のように真っ黒でムキムキのマッチョだったかもしれず、このように妄想した郭淮を考えると少しニタついてしまうのはレンだけでしょうか。
【参考】 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書など
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