【春秋左氏伝】宋の南宮万は春秋無双!?呂布もびっくりの暴れん坊


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南宮万

 

三国志の呂布(りょふ)といえば、剛勇にものを言わせて思うがままに振る舞う猛者(もさ)というイメージがあります。

強い人が強さにものを言わせて自由に動いているところを見るのは楽しいなぁと思っていたところ、

春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』にもそういう面白い人を見つけました。

春秋時代の宋の人で、名前は南宮万(なんきゅうまん)。呂布もびっくりの暴れん坊です!

 

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始まりは戦場での不覚

春秋地图Wikipedia

(画像:春秋地图Wikipedia)

 

南宮万伝説の始まりは、紀元前684年の「乗丘(じょうきゅう)の戦い」という会戦です。

これは(せい)()に攻め込んだ戦いなのですが、斉の同盟国として(そう)も参戦していました。

宋軍は魯から狙い討ちにされ、斉・宋同盟軍は敗戦。

南宮万は魯の荘公(そうこう)の矢を受け、捕虜になりました。

宋は魯から南宮万を引き取り、宋の君主・湣公(びんこう)は南宮万にこんなことを言いました。

「まえは君のことを敬っていたが、魯の捕虜になったからもう敬わないよ」

『史記』宋微子世家によれば、湣公は南宮万と狩りの腕を競い合っている時にそんなことを言ったようです。

狩り競争で熱くなって失言したのでしょうか。

この言葉を南宮万は深く根に持ちました。

 


 

まるでゴリラ!門で出会った大夫を撲殺

 

乗丘の戦いから二年後の秋、南宮万は蒙沢(もうたく)という場所で湣公を殺しました。

宮門で大夫の仇牧(きゅうぼく)に会うと、南宮万は仇牧を殴り殺しました。(やり方がゴリラみたい)

『史記』宋微子世家には、仇牧の歯が門に突き刺さっていたとあり、殴った衝撃の強さが思いやられます。

東宮の西で太宰の華父督(かほとく)に会うと、これも殺しました。

そうして、公子の子游(しゆう)を新しい国君に擁立しました。

なんだか、行き当たりばったり感が半端ないです。

腹が立った勢いで湣公を殺し、歩いている時に出会った大臣も手当たり次第に殺害、

ところで国君がいなくなっちゃったからどうしよう、ってなって、そこらへんにいた公子をとっ捕まえて、

“おおお前が、く君主に、な なれ”みたいな。(←蒼天航路の呂布のまね)実態は全然そんなんじゃなかったかもしれませんが。

ちなみに、東宮の西で殺された華父督は、孔子の六代前のご先祖様・孔父嘉(こうほか)の奥さんに横恋慕(よこれんぼ)して、孔父嘉を殺してその妻を奪い、

それに怒った君主の殤公(しょうこう)も殺したという人です。

 

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牛馬のような脅威の健脚

陳平

 

冬になると、宋の公室の血族たちが隣国の曹の軍勢とともに南宮万を攻め、彼らは南宮万が国君に立てた子游を殺し、新しい国君を立てました。

南宮万は隣国の陳に逃げましたが、このとき、南宮万は自分の母親を車に乗せ、それを自分で引っ張って行き、一日で陳に到着しました。

宋の都・商邱(しょうきゅう)(河南省商丘市睢陽(すいよう)区)から陳の都・宛丘(えんきゅう)(河南省淮陽(わいよう)県)までは直線距離で100kmほどです。

三国志の登場人物で左氏伝マニアの杜預(どよ)がこの部分に付けている注釈には宋と陳の間は260里とあります。

漢和辞典「漢語林」第一版改訂版にある歴代度量衡変遷表の魏の部分の数字で換算すると、260里は113km弱です。

一日で113km行軍だけでもすごいですが、ママを乗っけた車まで引っ張っているのですから、並じゃありません!


 

虎を縛るのだから、きつくせざるを得まい

呂布

 

宋の人は陳に贈り物をして、南宮万を引き渡してくれるよう要請しました。

陳では南宮万に女性をはべらせ酒を勧めさせ、酔ったところで南宮万を(さい)の革の中に入れて宋に送り返しました。

宋に着く頃には、犀の革から手と足がすべて出てしまっていました。包みの中で大暴れして犀の革を突き破ったのでしょうか。

犀の革って頑丈そうですし、厳重に包まれていたでしょうに、ものすごい人です。

 

三国志で呂布が捕縛された時に、縄目がきついからゆるめてくれと言うと、曹操は「虎を縛るのだから、きつくせざるを得まい」と言って

縄を緩めませんでしたが、そのときの曹操の頭の中では呂布と南宮万がだぶって見えていたかもしれませんね。

 

なんとか宋への移送が完了した南宮万。

宋の人たちは、南宮万を塩漬け肉にしたそうです。

春秋時代の人が仇や悪人の肉を塩漬けにしたという話、ちらほら聞きますよね。

古代中国人が仇に向かって言うせりふとして「いつかお前の肉を食ってやる!」というのもありがちですが、

本当に塩辛にして食べるつもりかもしれません。


  

 

三国志ライター よかミカンの独り言

三国志ライターよかミカンの独り言

 

三国志を読んでいると謀略とか計とか策とかに目を奪われがちですが、単純な身体的な強さというものも、案外あなどれませんよね。

いくら頭に万巻の書があり胸に韜略を有し天地の機微に通じていたところで、出会い頭の猛獣のワンパンチで即死です。

なんだか残酷な話のようですけれども、筋肉の力だけで天下統一なんていうif物語を想像してみると、ちょっぴり夢があるような気もしますねぇ……。

 

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