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西郷従道
この記事では、西郷隆盛と弟の西郷従道・いとこの大山巌の関係について、それぞれの略歴を紹介してから寺田屋事件に対するそれぞれの処分・それぞれの薩英戦争・西南戦争について紹介します。
西郷兄弟と大山巌の略歴
西郷隆盛
最初に西郷隆盛の略歴を紹介します。1828年、薩摩藩の下級武士の長男として生まれました。下級武士でしたが、藩主の島津斉彬に抜擢されました。斉彬に抜擢された下級武士の中には大久保利通など明治維新で活躍する人物がいます。斉彬が急死したことにより、国父島津久光と対立し、奄美大島に流されました。その後、復帰しますが、久光と折り合わず、再び沖永良部島に流されました。
しかし、家老・小松帯刀や大久保利通の後押しで復帰します。復帰後、1864の禁門の変や薩長同盟の成立など幕末の重要な場面で活躍します。戊辰戦争では江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側の降伏条件を受け入れて、総攻撃を中止しました。明治新政府では参議として活躍します。
岩倉使節団が外遊中には留守政府を主導しました。留守政府では朝鮮を攻撃する征韓論が台頭し、帰国した岩倉使節団の大久保利通らと対立します。1873年の明治六年政変で、西郷隆盛は江藤新平・板垣退助らとともに下野しました。鹿児島に戻り、私学校で教育に専念しますが、1877年に西南戦争の指導者に担ぎ出されます。西南戦争で敗れて自害しました。
次に、西郷隆盛の弟・西郷従道について紹介します。薩摩藩の下級武士の三男として生まれました。薩摩藩士の時に有馬新七ら精忠組に加わりますが、寺田屋事件の弾圧を受けて謹慎処分を受けました。薩英戦争が起こると謹慎が解けました。
明治新政府に加わると、岩倉使節団と朝鮮半島を巡って対立しました。明治六年の政変では征韓論に加わりますが、兄・西郷隆盛とは異なり、下野せず明治政府に留まります。政府に留まったことで、内閣制度発足後の最初の海軍大臣となり、日本の海軍の基礎を築きました。1902年、胃癌により死亡しました。
大山巌
最後に、大山巌について取り上げます。大山巌は西郷隆盛のいとこに当たります。寺田屋事件では西郷従道と同様、有馬新七ら精忠組に加わりますが、弾圧され謹慎処分を受けました。薩英戦争勃発に伴い、謹慎処分が解かれています。明治政府に加わると、士族反乱を鎮圧しました。西南戦争では政府軍の指揮官として、城山に立て籠もった親戚筋の西郷隆盛を相手に戦いました。結果、明治政府は不平士族に勝ちましたが、大山は二度と鹿児島に帰ることはありませんでした。
西南戦争が終わると、陸軍人として明治政府に加わります。日清戦争だけでなく、日露戦争では満州軍総司令官として日本の勝利に大きく貢献しました。1916年、病気で死亡しました。
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寺田屋事件の3人の処分とは
『島津久光と寺田屋事件。忠義の藩士を成敗する決断を下した久光、その理由とは?』によれば、寺田屋事件とは薩摩藩の国父・島津久光が寺田屋において薩摩藩の過激派・精忠組を取り締まるために同士討ちを命じた事件のことをいいます。
当時、島津久光は公武合体を考えていましたが、有馬新七ら精忠組が寺田屋に集結して京の街に火を放つ計画が話し合われていました。一部の薩摩藩士が京の街に火を放つ不穏な動きがあるから取り締まれと、久光は朝廷から命令されました。この事件で久光は朝廷からの信頼を勝ち取ることができました。
寺田屋事件が起こった頃、西郷隆盛は久光の命令を無視したということで沖永良部島に遠島になりました。弟・西郷従道といとこの大山巌は精忠組に加わったため謹慎処分となりました、
西郷兄弟と大山巌にとって薩英戦争とは
西郷隆盛は沖永良部島に流され、薩英戦争が勃発した頃は復帰していません。西郷従道と大山巌は寺田屋事件で謹慎処分を受けましたが、薩英戦争に際して謹慎処分が解かれました。大山は薩英戦争で西欧列強の軍事力に衝撃を受け、幕臣・江川英龍の塾で砲術を学びました。
西南戦争 西郷隆盛vs西郷従道・大山巌
不平士族の最後の反乱である西南戦争では、西郷隆盛と弟の西郷従道・いとこの大山巌は敵対関係になりました。現場で指揮を執ったのは大山巌です。弟の従道は西南戦争の現場にいません。結果、西郷隆盛は戦争に負けて自害します。一方で、勝った側の明治政府では弟・西郷従道といとこの大山巌は逆賊の弟と言われていました。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は西郷隆盛・西郷従道兄弟といとこの大山巌を取り上げ、それぞれの寺田屋事件・薩英戦争・西南戦争について取り上げました。
大山巌は2013年のNHKスペシャルドラマ『八重の桜』でも登場しています。会津戦争で弾丸が右股を内側から貫いたことで負傷した場面がありました。後に、明治政府に加わってから、会津若松城に籠城していた山川捨松と再婚しました。西郷隆盛と従道とは敵味方に分かれましたが、大山巌は敵方と結婚していたとは意外でした。今後、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で活躍した人物の幕末に注目したいと思います。
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