今回は武田観柳斎について取り上げます。この人物については生まれなど詳細については不明な部分がありますが、この記事では、2004年の大河ドラマ『新選組!』の武田観柳斎とアニメ『銀魂』の武田観柳斎についてそれぞれ取り上げます。
武田観柳斎とは?
武田観柳斎は生年について不詳です。1867年に新撰組の隊士に暗殺されました。生まれた場所についても不明な点がありますが、脱藩して江戸に行き、甲州流軍学を学びました。本名は福田廣といわれていますが、甲斐武田氏に因んで武田と名乗ります。観柳斎は水戸学で有名な武田耕雲斎からとったと考えられます。
1863年から新選組に加わります。甲州流軍学を専門とする学者と武芸に秀でていたことから武田観柳祭は高く評価されました。新選組の五番組組長となります。1864年の池田屋事件では近藤勇らとともに第一陣として切り込みました。
武田観柳斎の評価は高くなりましたが、次第に立場が危うくなります。幕府が甲州流軍学を取り止めて、最新のフランス式兵制を取り入れました。フランス式兵制を取り入れたことで、甲州流軍学は時代遅れとなり、新選組での武田観柳祭の立場は危うくなります。武田観柳斎は新選組局長の近藤勇に除隊を願い出て脱退しました。新選組脱退後の1867年に京都郊外で暗殺されました。京都で密かに倒幕活動をしていたことが発覚したことにより武田観柳斎は暗殺されました。
大河ドラマの武田観柳祭
2004年『新選組!』では八嶋智人が演じています。軍学という学問の専門家であることと戦闘で成果を上げたことから文武両道の人物として登場しています。この記事の読者の中には八嶋智人がピッタリだと感じた人がいるかもしれません。
大河ドラマでは、軍師という役割で局長の近藤勇ら新選組を支えます。剣術の面で劣っていたといわれていることから、隊士の中には武田のことをあまり快く思っていなかったと考えられます。大河ドラマでは「軍師ですから」「私が~」の口癖が有名で、印象に残っている人がいるかもしれません。
大河ドラマでは、最先端の西洋軍学を学ぶために新選組の隊費の管理を担当していた河合耆三郎から50両を借ります。このことが原因で河合耆三郎は切腹することになりました。このことが原因で武田は新選組での立場がなくなり、新選組を逃げ出します。しかし、土方歳三と沖田総司に連れ戻され、局長の近藤勇から切腹を命じられず、死んだ者のために生きて償えと諭され、生き続けることになりました。その後、武田は夜中に河合の墓に参りましたが、その帰りに隊士によって暗殺されました。
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アニメの武田観柳斎
アニメの『銀魂』では、武田観柳斎は観念斎という名前になっています。真選組五番隊隊長で、文学師範という設定です。軍事学と武芸ともに優秀で、特に池田屋事件での活躍が高く評価されています。軍師としての役割も演出されています。
しかし銀魂では脇役扱いであまり活躍していません。史実でも造反する伊藤甲子太郎は、銀魂では伊東鴨太郎として登場し真選組を乗っ取ろうとする活躍を見せています。
映画『るろうに剣心』の実写映画版では香川照之が演じています。人物名は武田観柳で、モデルは新撰組五番隊組長の武田観柳斎です。史実について、武田観柳斎の生年は不詳となっていますが、映画では1848年生まれという設定です。軍事学者ではなく悪徳貿易商という設定で、ガトリング砲を使って善戦しますが、弾切れとなり逮捕されました。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は武田観柳斎について取り上げました。武田観柳斎の墓は存在しません。新選組隊士によって暗殺されたため、墓はないと考えられます。今後、新撰組の隊士について、剣術だけでなく学問に秀でた隊士や裏方にも注目したいと思います。
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