土方歳三、新選組副長の刀はどんなモノ?

2018年6月19日


 

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土方歳三

 

新撰組「鬼の副長」と呼ばれ、人気のある新撰組の中でも更に1、2の人気を誇る土方歳三(ひじかたとしぞう)。土方歳三は和泉守兼定や堀川国広など数々の名刀を持っていました。今回は、土方歳三が所有していた愛刀について調べてみました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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新選組副長土方歳三ってどんな人?

 

土方歳三は武蔵野国、今の日野市の豊かな農家に生まれました。土方家は、家業として「薬売」もやっていたせいもあるのでしょう。子供のころの土方歳三は「バラガキ」という茨のようなガキ、触るもの皆傷つけるような尖った暴れ者だったようです。若いころの土方歳三は「石田散薬」という切り傷や、打ち身に効くという薬の行商に出ていたとも伝わっています。

 

近藤勇 新選組

 

土方歳三は、薬の行商をしつつ剣術修行をし、近藤勇の天然理心流・試衛館に入門します

幕末68-6_徳川家茂

 

土方歳三は試衛館の同士と共に、「浪士組」に応募します。「浪士組」は将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)警護のために組織されたもので、後に功績が認められ「新撰組」となります。この有名な新撰組で副長として活躍したのが土方歳三です

京都御所

 

新撰組の役目は、京都の治安維持でした。土方歳三は、その後の活躍や新撰組内部での規律を守らせる厳しさから「鬼の副長」と呼ばれるようになります。そして、土方歳三は、新撰組の中心メンバーとして最後まで侍として生きます。

 

幕末77-14_錦の御旗

 

幕府が滅び、近藤勇(こんどういさみ)の死後も新撰組を率い戊辰戦争に参加し、戊辰戦争最後の戦いである函館戦争で戦死するのです。

 

和泉守兼定だけじゃない土方所有の名刀の数々

幕末74-12_松平容保(会津藩主)

 

土方歳三は数々の名刀を所持していました。有名な「和泉守兼定」だけではない、彼の所有していた名刀を紹介していきます。まず「和泉守兼定」ですが会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)から下賜されたと伝えられる名刀で、土方歳三が所持していた刀としては最も有名です。

 

「兼定」は会津藩お抱えの刀匠である和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)の刀です。土方歳三は「兼定」については刀身の長さの違う複数の刀を所持していました。日本史の中で、最も実戦で日本刀が使用されたのは幕末でしょう。そのためか、残っている刀はかなり刃こぼれが多く激闘を物語っています。

 

そして「大和守源秀國」も土方歳三の愛刀です。会津では「兼定」に次ぐといわれた刀匠の「秀国(ひでくに)」作のものです。土方歳三が秀国に注文して作らせたと伝わっています。「大和守源秀國」は京都の霊山歴史館で一般公開されています。

 

吉田松陰の臨終

 

この他にも越前藩の刀匠の作である「越前康継」の作の刀を持っていました。会津藩主で京都守護職にあった松平容保から「葵紋越前康継」を拝領したものです。この刀は、幕府の処刑人であった山田浅右衛門吉利(やまだあさえもん)の子である「山田吉豊試之」と刻まれており、吉田松陰(よしだしょういん)などを斬った刀であるといわれています

 

【刀入門】打ち刀と脇差の違いとは?

刀マニアの坂本龍馬

 

土方歳三は多くの刀を持っていました。その中には「打ち刀」もあれば「脇差」もありました。この「打ち刀」と「脇差」の違いとはなんでしょうか。一般に日本刀とイメージしたときには長い刀が思い浮かびます。その中でも体に対し、刻まれた銘を外側にして身に帯びたときに、刃が上を向いている種類の日本刀を「打ち刀」といいます。下を向いているものを「太刀」といいます。

 

また、侍のことを「二本差し」と言う言葉で表現するように、侍は長い刀の他に短い刀を腰に差していました。長さは概ね30センチから60センチくらいの刀です。これを「脇差」といいます。打ち刀は「大刀」の一種であり、「大刀」と「脇差」の違いは長さです。侍はこのふたつをセットにして正装していました。元々は戦における予備として「脇差」は存在したのですが、そもそも日本刀が主武器として大活躍したのは、幕末の市街戦以外ありませんでした

 

【天然理心流の教えは?】刀の握りが超我流だった土方歳三

幕末極悪な尊攘派志士と正義の新選組

 

土方歳三の刀の握り方はかなり独特な我流であったのではないかと推測されています。愛刀「和泉守兼定」の柄の磨耗具合を調査したところ、土方歳三は親指と人差し指に力をこめて刀を握っていたことが分かったのです

 

これは、現代にも伝わる天然理心流の教えからもずれています。小指を基点として手のひらで握るというのが、天然理心流の教えです。これは、現代の剣道の教えとほぼ同じです。土方歳三はまるで、剣道の初心者や、全く剣の心得がないような人間のように刀を握っていました。しかし、土方歳三の実戦での強さは多くの人が証言しています。彼は強い剣士でした

 

幕末大勢で一人に襲いかかる新選組

 

実はこの握り方は、手首の自由度が生まれ、非常に実戦的な握りであることが分かっています。これは剣道よりも「スポーツチャンバラ」の握りに近いものです。どこに当てても勝敗は決してしまうスポーツチャンバラは名前の軽さに反し、かなり実戦に近いスポーツです。その握りに近いということは、やはり土方歳三の握りは実戦の中で生まれた合理をもった超我流のものであったのでしょう。

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歴史大好き。特に江戸時代から幕末、太平洋戦争にかけては好きすぎるくらいです。戦史が好きですので、時代を超えて「戦いの歴史」が好きという者です。よろしくお願いします!! 好きな歴史人物:田沼意次 何か一言:歴史小説もWEBで公開しています。

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