三国志の魏の邯鄲淳が編纂したと言われている笑い話集『笑林』
意図的に笑い話だけを集めて作られた書物としては中国最古だと言われています。
本日は『笑林』にある本末転倒エピソードを二つご紹介させて頂きます。
人命度外視の治療と、儒学をまなんだ不孝者の話です。
関連記事:華佗が発明した幻の麻酔薬「麻沸散」とは?
関連記事:ギョッ!これも薬?華佗も利用した、ちょいグロな漢方薬の話
治すことだけはうまい
お医者さんは怪我や病気の治療をしてくれますが、治療行為自体が目的なのではなく、患者さんによりよく生きてもらうことを目的とされていると
思います。
『笑林』にある本末転倒エピソードはこういうものです↓
平原に傴僂を治す名人がいた。
「治すことができないのは百人に一人だ」と自分で言っていた。
体の長さは八尺だが立って測ると六尺という人がおり、大金を積んで治療をお願いしに来た。
名人は「横になって下さい」と言うと、患者の背中の上に乗って踏みつけようとした。
「俺を殺す気か!」
「手っ取り早くまっすぐにしてあげようとしているんだ。死ぬかどうかなど知るものか」
親不孝の儒学生
三国志の時代には、なんの前置きもなくただ「学」といえば儒学のことでした。
儒の教えでは人のまごころをとても大切にしており、中でも根幹をなすのは「孝」でした。
ご先祖様や親御さんを大切に、ってやつです。
さて、『笑林』にある本末転倒エピソードはこういうものです↓
ある人が父母のもとを離れて遊学し、三年経って帰ってきた。
母方のおじが、どんなことを学んできたかとたずね、また、長らく父親と離れていた気持ちを述べてみなさいと言った。
そこでこう答えた。
「渭陽の思い、秦康に過ぐ(おじさんのことがとても懐かしかったです)」
父親がそれをとがめてこう言った。
「一体なにを学んできたんだ!」
その答えは
「少くして過庭の訓を失す。故に学ぶも益無し(父親の教育が悪かったので、学問をしても役に立たないのです)」
父親と離れていた気持ちを述べろと言われているのに、父親をスルーしておじさんのことを言っているので、父親が怒ったのですね。
それに対して「父親の教育が悪かったので」と言い返す息子。
渭陽だの秦康だのの元ネタは『詩経』秦風の「渭陽」、過庭の訓の元ネタは『論語』季子篇です。
儒学の経典を引きながら教養ありげな言葉遣いをしているものの、肝心かなめの「孝」が全くなっていません。
なんのために学んだの?
いくら上手に人の背中を伸ばすことができても死なせてしまっては意味がありませんし、どんなに儒学の経典に通暁していても真心がなかったら意味が
ありません。
ただの笑い話として受け取ることもできますが、教訓を読み取ることもできそうですね。
何かが上手にできるようになると技に溺れてしまうことがありそうですが、なんのためにそれをやるのかを見失わないようにしないといけないという
ことでしょうか。
三国志ライター よかミカンの独り言
『笑林』の編者の邯鄲淳は高名な儒学者です。
儒学者が作った書物だと考えると、単純なエンタメ作品ではなくて何か深淵な意味でもあるのかな、と勘ぐりたくなってきます。
儒教では「礼」を大切にしますが、「礼」は形式を踏んで行うものであるので、真心のない形式主義に陥りがちです。
物事の形式だけを踏んで、その意味が分かっていない人が多いことを邯鄲淳は諷刺したかったのではないでしょうか。
儒教の弊害が顕著になり様々な価値観が交錯していた後漢末期の雰囲気が現れている本なのかな、と思いました。
参考文献:
竹田晃・黒田真美子 編『中国古典小説選12 笑林・笑賛・笑府他<歴代笑話>』明治書院 2008年11月10日
関連記事:邯鄲淳とはどんな人?曹丕と曹植が欲しがった学者で笑い話集『笑林』の編者
関連記事:黄老思想(こうろうしそう)とは何?アベノミクスの原点は前漢時代にあった!