『水滸伝』は明(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義』に匹敵する人気を誇っております。モチーフは北宋(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。
リーダーの宋江も実在しています。この『水滸伝』の豪傑が根城とするのが梁山泊という砦です。梁山泊といってもパチプロ集団や居酒屋の名前ではありません。
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読者の皆様が筆者のネタに古くてついて行けないようなので話を続けます。さて、今回は梁山泊はどんな土地なのか、最初に梁山泊を創設した首領の王倫について解説します。
梁山泊とはどんな所?
梁山泊とはどんな土地なのでしょうか。梁山泊は『水滸伝』に登場する天然の要塞です。
ですが、実在しています。
場所は現在の山東省済寧市梁山県です。『水滸伝』では四方800里を沼で囲まれた山という表現になっています。世間でやましいことを行った人間が逃げ込む場所となっていました。天然の要塞なので、官軍も手が出せなかったようです。
実際の梁山泊は・・・・・・
上記の内容は小説『水滸伝』での表現なので、誇張であるのは間違いありません。実際はどの程度だったのでしょうか。史実の梁山泊は北宋統一以前の五代十国時代(907年~960年)黄河の氾濫により、出来上がった巨大な沼地です。天然の要塞というレベルではありません。
しかし、北宋末期に盗賊が梁山泊付近を根城にしていたのは間違いない事実です。梁山泊は明・清(1644年~1911年)にかけて、大規模な地殻変動が起きたので、沼は干上がってしまい消滅しました。
現在、梁山泊は観光客用のテーマパークとなっています。
初代首領王倫とは?
梁山泊の首領と言えば読者の皆様が思い浮かべるのは、晁蓋や宋江です。だが、梁山泊の根幹を作ったのは王倫という人物です。
王倫は無位無官の書生という意味から白衣秀士というあだ名が付いていました。彼は科挙(現在の公務員試験)を何度も受験するが、合格しなかったから盗賊になったようです。
おそらく、唐(618年~907年)の末期の反乱者の黄巣のマネだと思います。黄巣も科挙受験に何度も失敗して唐王朝を恨んで反乱を起こした部類です。ちなみに王倫のように科挙に合格出来ない在野の知識人を専門用語で〝下第士人〟と呼びます。
こういう人々は宋代にたくさんいました。科挙に合格出来なかった下第士人はのやる事は決まっていました。
(1)反乱を起こす
(2)故郷で塾を開いて子弟の教育に努める
(3)役所でその日暮らしのアルバイトで生計を立てる
以上の3点でした。ちなみに、梁山泊の軍師の呉用は入山前は故郷で塾の先生をしており、宋江は役所でアルバイトをしていたので、彼らも下第士人と想像はつきます。話がずれたので、王倫に戻します。
王倫という男は、北宋に対して反抗する意思は持っているのですが、勢力を拡大しようという考えまでは無かったのです。王倫の場合、その日が何事もなく無難に暮らせれば十分なのです。また、入山する人材に対しては自分より力量が上の人物を拒否する傾向がありました。
例えば林冲が入山しようとした時も彼の武術の腕が他の部下よりも圧倒的に上なので、いずれは首領の座を乗っ取られるのではと恐れています。そこで林冲に条件を付けて、入山を拒もうとしました。また、晁蓋が入山する時も、食糧が足りないので養う力が無いという理由を付けて追い出そうとしました。
この時に、とうとう怒った林冲により殺害されます。その後、梁山泊の2代目首領は晁蓋になりました。
宋代史ライター 晃の独り言
以上が梁山泊の解説と初代首領の王倫に関しての解説でした。王倫は登場期間が短いので、読者の印象に残らないキャラクターです。しかし、彼という存在が無かったら、今の梁山泊は無かったのです。
※参考文献
・川上恭司「科挙と宋代社会:その下第士人問題」(『待兼山論叢 史学篇』21 1987年)
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【中国を代表する物語「水滸伝」を分かりやすく解説】