孫亮は皇帝になっても何にもできなかったってホント?

2019年7月3日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

劉邦

 

(しん)始皇帝(しこうてい)や前漢王朝の劉邦(りゅうほう)・後漢王朝の劉秀(りゅうしゅう)は、政権のトップとして色々な事を自分の好きなようにしてきました。三国時代の蜀・・呉それぞれの皇帝も自分で考えた事を実行して政権を運営しています。

 

孫権の跡継ぎ9歳の孫亮

 

しかし孫呉の二代目皇帝・孫亮(そんりょう)は皇帝になったにもかかわらず、自分の思うような事をほとんどできませんでした。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



皇帝・孫亮誕生!!

孫権の娘が大喧嘩 孫魯班、孫魯育

 

孫亮は二宮の変で孫和が皇太子の位を外された後、孫権の皇太子としてに任命されます。その後孫亮は孫権が亡くなった後、孫呉の二代目皇帝として就任。

 

呉の孫権

 

こうして孫呉は孫権(そんけん)の治政から孫亮(そんりょう)の治政になりますが、政権を自らの意思で動かすことができませんでした。その理由は孫権の遺命があったからです。

 

 

 

「OK」皇帝・孫亮登場!!

孫権の遺言で丞相に就任する諸葛恪

 

孫権は亡くなる前に諸葛恪を孫亮の後見役に任命。諸葛恪(しょかつかく)は孫権が亡くなると孫亮の後見役だった事もあり、孫呉の政権を運営していくことになります。

 

軍事面でも才能を発揮する諸葛恪

 

孫亮は諸葛恪が決めた政治の政策に反対することなく、「OK」と言うだけで、自らが考える政治の政策を決めることができませんでした。

 

諸葛恪の栄光と破滅

 

こうして孫亮は諸葛恪の言われるがままに書類にOKと書いたり、諸葛恪から「この政策やっていいですか」と言われて「OK」と言うだけの操り人形のような皇帝でした。孫峻は諸葛恪のやりたい放題の政権運営の仕方に激怒し、皇帝・孫亮へ「やりたい放題の政治をしている諸葛恪を殺害して、政権を健全化しましょう」と相談。

 

諸葛恪と孫峻

 

孫亮は孫峻(そんしゅん
)
の相談にも「OK」と返事を出します。孫峻は孫亮から承諾を得ると、諸葛恪を酒宴に呼び出して彼を殺害することに成功。孫亮は諸葛恪を殺害することに成功した事で、政権を自らの考えで動かすことができるようになり…ませんでした。

 

どうして孫亮は政権を運営していた諸葛恪を倒したのに、自分の思い通り政権を動かすことが出来なかったのでしょうか。

 

 

孫峻が政権を思い通りに動かしたから

 

孫亮は孫峻の提案で政権を思い通りに動かしていた諸葛恪を倒すことに成功したので、彼に大将軍と丞相の位をご褒美としてさずけます。孫峻は孫亮から大将軍・丞相の位をもらうと、自分の思い通りに政権を動かし始めます。

 

そのため孫亮は再び操り人形のような皇帝になってしまい、自分の思い通りに政権を作ることができませんでした。孫峻は大将軍・丞相の位を使ってやりたい放題政権を動かしていきますが、病によって亡くなってしまいます。

 

孫亮は孫峻が亡くなった事で自分の思い通りにようやく政権を動かしていくことができるように…なりませんでした。

 

 

 

孫綝が丞相となって政権をやりたい放題動かす

 

孫綝は従弟であった孫峻が亡くなると彼の権力をすべて引き継いで政権を思い通りに動かします。彼の行った政治は傍若無人だったので、重臣達が怒って彼を殺害しようと試みますが失敗。

 

皇帝・孫亮も孫綝の政治のやり方に何度も反対しますが、結局孫綝に押し切られて賛成するしかない状況でした。そのため孫亮は怒って彼を殺害する計画を立てて実行に移します。

 

しかし孫亮の計画は皇后が孫綝へ密告したため、孫綝殺害計画がバレてしまい、失敗に終わってしまうのでした。そして孫亮は孫綝の怒りを買ってしまった為、皇帝の位から引きずり降ろされてしまいます。

 

こうして孫亮は皇帝に即位してからほとんど自分の思う通りに政権を動かすことなく、皇帝の位から去ることになるかわいそうな人でした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

孫亮は皇帝になっても政権を自ら動かすことができず、何にもできませんでした。しかし孫亮は皇帝になって政権を動かすことができませんでしたが、一つだけ自分の意志で決定して実行できたことがありました。

 

それは孫亮を守る近衛兵の創設です。孫亮は孫綝を殺害しようと考えてから近衛兵団を創設しますが、孫亮率いる近衛兵団も孫綝の権力にあらがうことができなかった事を考えると、孫綝の権力がとてつもなく強大だったことが伺えるのではないでしょうか。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

関連記事:呉のA級戦犯?孫皓を皇帝にした呉の重臣「万彧・濮陽興・張布」

関連記事:三国時代、魏・蜀・呉はそれぞれどんな経済政策を打ち立てたのか?

 

呉の武将

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-,