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諸葛亮の乗っているイメージが強い四輪車は、本当にあったのか?

2019年7月31日


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夜の五丈原で悲しそうにしている孔明

 

 

皆さんの諸葛亮(しょかつりょう)のイメージに、帽子を被り、羽扇を持ち、そして四輪車に乗って座っているイメージがありませんか?多くの人が「諸葛亮」と言われるとこのイメージが湧くと思います。

 

 

孔明

 

 

しかしここで気になるのが諸葛亮の腰かけている四輪車、これは一体何なのか?

当時本当にあったのか?ただの創作なのか?今回はこの「四輪車」について解説をしていきたいと思います。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮のイメージにある四輪車

孔明

 

まずは少しおさらいをしましょう。

 

前述したように諸葛亮のイメージと言えば、白い羽織のような着物、丸まったような帽子を被って、トレードマークのような白い羽扇を手に持っている。そして車椅子のような四輪車に腰かけている姿……それが諸葛亮のイメージですよね。

 

犬猫に襲われる孔明

 

ただしこの諸葛亮のイメージは、あくまで演義によって作られたイメージ像なのです。そこでこのイメージが生まれた経緯と考えられている、初学記から紐解いていきましょう。

 

 

 

四輪車のイメージはどこから来た?

挑発する諸葛亮孔明

 

さて初学記の語林にて、諸葛亮の描写として以下のように書かれています。「諸葛亮は白い輿に乗って、頭巾を被り、羽扇を手にして軍の指揮をとっていた」。

 

頭巾と羽扇に関しては皆さんのイメージとそこまで差異はありません。ですが白い輿と四輪車のイメージはちょっと結びつきませんよね。しかしこの白い輿のイメージを更に膨らませて描写したのが、三国志演義なのです。

 

三国志演義ではこの描写を踏まえた上で、頭巾はちょっと変わった頭巾になり、白い輿の代わりに四輪車に乗って軍を指揮する姿が描かれるようになりました。つまり四輪車のイメージは三国志演義の創作なのです。でもここで少し気になるのが「四輪車」はどこから来たのか?ということ。そこで四輪車に関して少しばかり調べてみることにしました。

 

 

「四輪車」は想像力が生み出したものなのか?

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

さて三国志演義は16世紀に中国で書かれたものです。ここで諸葛亮が四輪車に乗って指揮をとるというシーンが描かれます。その一方で、1669年の著書の中で日本を描いた絵があります。

 

これはオランダ人作家アルノルドゥス・モンタヌスによって描かれたものなのですが、ここで女性が諸葛亮と似たような四輪車、というか手押し車のようなものに乗っている絵があるのです。

 

この女性は「タイコーサマ」という女性なので、それなりの地位のある女性だったのでしょう。

 

ここのポイントはこの時期に日本に手押し車、四輪車があり、それが欧州にも伝わったということ。

 

三国志演義は16世紀のものですから日本から伝わったのか、それとも日本に伝わってきたのかは不明ですが、少なくともこの時期に存在しているなら三国志演義の時代に既に似たようなものはあったのでは?という仮説が立てられます。

 

諸葛亮の四輪車は三国志演義による創作です。しかしその四輪車のベースとなったものは既にあったと思うと、それに乗っている諸葛亮は当時の人から見ても地位の高い人物であると思われていたのではないでしょうか。

 

 

もう一つの四輪車は諸葛亮の発明品

孔明と司馬懿

 

因みにもう一つ、四輪車のイメージの元になったのではないかと言われるものがあります。それは諸葛亮が発明したと言われる「木牛」と言われる、今で言う手押し車です。これは物資の運搬に使われたものなので、人が乗る四輪車というよりは猫車、手押し車に近いものだったのでしょう。

 

そういった発明品を生み出す力のある諸葛亮だったからこそ、四輪車というその頃はまだ比較的新しい乗り物に乗せて指揮をする、革命的な人物として描かれたのかもしれませんね。

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

諸葛亮と四輪車について、いかがだったでしょうか。

 

諸葛亮の四輪車はあくまで演義の創作……と思ってそれ以上に調べてこなかったのですが、今回調べてみるとベースになったようなものが既にあったこと、そしてそれに乗せた人物を描いた想像力があったことにもまた驚きです。

 

三国志は歴史、三国志演義はあくまで創作のお話……なんて言わずに、どうしてそういった描写が生まれたのか調べてみると、より一層歴史の流れや繋がりが楽しめます。

 

だから皆さんも三国志演義の創作描写から、何か新しい繋がりを見つけてみて下さいね。

 

参考:人力車 wikipedia

参考:諸葛亮 wikipedia

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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