蜀の武将、その中でも軍師たちというべき文官たちも多くいますが、そのどれもがひと癖ふた癖ある人物たちばかりです。今回はそんな彼らの中から法正、それも法正の性格に関して、法正の逸話に触れながら考察してみたいと思います。
はたして法正の性格とはどんなものなのか……皆さんの考えている法正とは?に深く切り込んでいきますよ!
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法正の(結構みんなが知っている)性格とは……?
さて皆さんは法正の性格に関して、どのような印象を抱いているでしょうか?
そうですね、一言で説明してみましょう。
「最悪」ではないですか?
はっきり言って法正の性格に関しては、フォローが難しいレベルで悪いと言わざるを得ないでしょう。とにかく恨みを絶対に忘れない人物で執念深く、益州奪還後には過去に恨んでいた人物たちを次々に処刑をするという、自分の身分を笠に着ての完全な法の悪用を行ったほどです。
陳寿も「徳性について賞賛されることはなかった」と一言付け加えるほど、性格に問題があったのは間違いないでしょう。
執念深さ?陰湿さ?
ここまでを見ればもうただの悪人です。軍師として非常に優秀で地位があるだけにたちの悪さを増大していますね。しかし法正はただ執念深く、他人に対して悪意を持って接するだけの人物ではありません。
それが分かるのが、法正の性格に関して「報恩報恨を忘れない」という一文があることです。これは恨みだけでなく、恩にも報いることを忘れない、ということですね。法正はただ恨みだけで生きていた訳ではありません、恩にも恩で必ず報いた一面もあるのです。
豪胆さと信頼
また、法正は劉備に非常に信頼されていた人間でもあります。劉備はなぜか、法正の言うことなら聞き入れるのです。
それが分かるのが定軍山での戦い。この戦いの中で劉備の元まで矢が飛んでくるまで不利な状況になりました。しかし頭に血が昇っていたのか周囲からの撤退進言を劉備は聞き入れません。そこで劉備を庇うように法正が飛び出しました。
驚いて矢を避けるように言う劉備に、法正は「殿が危険に晒されているのです。私がつまらぬ男ならここで死にましょう」と言いました。
この言葉を受けた劉備はやっと冷静さを取り戻し、撤退しました。法正は劉備を退かせる為に矢面に立つ、そんな豪胆さもあったのです。そして劉備はそこまでしてくれる法正を、とても信頼していたのです。
決して「それ」だけではない
結論として言ってしまうと「恩も恨みもどれだけ細かいことでも忘れない執念深さ」となるので、性格の陰湿さは変わらないにしても……それでも、ただ報復だけでなく恩義も忘れない、法正はそんな人間だったと思います。しかし法正の性格はただ「陰湿」だけでは済まされない「深さ」があると筆者は考えます。
定軍山での劉備の前に立ち、矢面に立ってまで行動したように、法正はここぞという時に決断ができる人物でした。そしてその決断の中で、自分の命すらかけることができる人間だったのです。これはただ陰湿という言葉だけでは表現しきれない、法正の性格が表れているのではないでしょうか。
人それぞれ、譲れない何かがあります。しかしそれを譲らないまま生きるというのはとても難しいことです。時に妥協して、時に諦めて生きなければならないということは、決して恥ずかしいことではありません。
ですがそんな世の中でも、法正は「それ」を貫き通せる性格だったのではないでしょうか?
そしてそういった自分の性格を貫き通せるというのが法正の性格であり、魅力であり、そして劉備が信頼したのではないかと思います。
三国志ライター センのひとりごと
法正の性格は、本人を知れば知るほど良いとは言えません。どちらかと言えば「最悪」という方面に傾くでしょう。しかしただ性格が悪いだけでなく、その中心に一本筋が通っている、それが法正の性格だと思います。
法正は知れば知るほどに魅力が深い人物ですから、ただ「性格が悪い」だけで理解したつもりにならずにもっともっとその奥深さを理解してみて下さいね。
参考文献:
蜀書 法正伝
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