三国志は日本でもかなりの人気、ファンも多くいます。
しかし日本での人気武将がそのまま中国、特に当時の中国で人気ではなかったようで……その武将の一人として、呂布がいます。
日本では色々な小説や漫画などの捜索で人気が高い呂布ですが、中国ではそうでもなく、むしろそういった創作物の逆輸入で人気が出てきているようですね。今回は良くある呂布の人物像が生まれたのはどうしてか。
そして当時の人気などを合わせて、どうして当時は人気がなかったのかを考察していきたいと思います。
「呂布 人物像」
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散々な評価をされている呂布
呂布の評価として、三国志正史の陳寿はこう述べています。
「虎のように強かったにもかかわらず、優れた策略を用いなかった。軽はずみで狡猾で、裏切りを繰り返し、目先の利益だけを求めていた人物だった。彼のような人間が歴史上破滅しなかったためしはない」
辛うじて個人の武勇面では褒めていますが、その他は散々ですね。破滅云々のところまで追求しているところを見ると、怨みでもあるのかと思うほど。しかしもちろん陳寿が個人的に呂布に怨みがあった訳ではありません。
どうやら当時の中国では呂布の生き様というのは非常に嫌われていたようです。その理由を見ていく前に、呂布の人物像についても触れていきましょう。
どうして呂布の人物像が生まれたのか?
呂布の人物像と言えば、どのようなものがあるでしょうか?
おそらく「天下に類をない武人」「だけど策略が全く使えない」「策略で追いつめられるとうろたえちゃう」「武力だけのお馬鹿さん」……最後の方は茶化しましたが、このようなイメージを持っている人は少なくないのではないでしょうか。
実際に三国志演義でもこういった人物に描かれている武将ですよね。
これにもちゃんとした理由があります。呂布というのは良くも悪くも現在の利益で動く人物でした。目の前にある利益とその後の影響を考えられない人物でもあったのです。
このため裏切りが多く発生した人生を歩むことになりましたが、これはとある思想と対立します。
そう、儒教です。
儒教の教えと呂布
儒教では五常という徳性、そしてそれによって父子、君臣、夫婦、長幼、友人関係を維持することが大事であると教えています。つまり親子関係を大事にする、親を敬う、主君と部下の関係を重要視する、主に忠節を尽くす……これらの点で呂布は非常に儒教と対立するということになるのですね。
このため儒教思想が強い時代、呂布の生き様は非難の的であり、それに沿って呂布という人物像が歪められた形で生まれてしまったのではないかと思われます。
この儒教の影響は強く、例えば曹操の当時としては革新的な実力主義は君臣の関係を維持できていないとみなされて彼の評価を下げている原因ともなっていました。このため二人は実力は凄まじいにも関わらず、中国では近年まで不人気的な存在ともなったという共通点があるのです。
なんとなく、曹操と呂布に共通点があるのは面白いですね。
実は呂布って……?
因みに呂布は武力ばかりが注目されていますが、指揮能力も比類ない存在であったそうです。つまり戦場においてある種のチート武将でした。ただし戦略眼がなく、前述したように目先の利益だけで現状の判断をしてしまう人間でした。
こう考えて見ると面白いのが、劉備との対比です。劉備は個人の能力は呂布や曹操に迫るとまでは言えませんが、戦略眼というか、先を見通す才能には非常に長けていると思います。
ピンチになってからのリカバリーが非常に優れていますからね、劉備は。
三国志のかなり初期の方で消えてしまう武将の一人ではありますが、呂布を劉備や曹操と比較すると何が悪かったのか、どうして呂布と違って二人は三国志の英雄の一人となれたのか、それを考えさせられますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は呂布の人物像と生き様に関して、当時の価値観であった儒教思想の観点からも見てみました。
この思想がどれだけ強かったかに関しては、曹操がやたら悪役として描かれれることが多いこととも共通していることがある意味証明しており、大変興味深く、面白いと思いました。
三国志、三国志演義には当時の思想もしっかりと反映されているのが個人的には面白いです。
そういう意味では三国志は三国時代を知ることのできる立派な文献、ぜひとも皆さん三国志を手に取って見てみて下さいね!
参考文献:魏書呂布臧洪伝
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