こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
複数に及ぶ帝国主義理由
帝国主義の進展には、さらに説があります。例えば、資本主義の進展に伴い発生した、労働条件の改善や失業問題や社会主義運動に対応する為に各国政府が社会政策を厚くすべく、その資金獲得に植民地拡大に伴い得た利益をあてようとした説です。
また、国内政治が混乱している場合、不満の矛先を戦争によって逸らそうと領地の拡大路線が取られる事もあります。フランスは1871年に普仏戦争でドイツに敗れた痛手から民族を誇りを取り戻すべく、積極的に海外進出に出ています。
これら欧州の国々の帝国主義には、未開の地域をキリスト教の価値観で教化するという建前が用いられる事があり、入植者の中には、全くの善意で各地の習慣や文化、宗教を踏みにじる形で植民地化し、自国の保護国にするケースもありました。
この欧州による独善的な土着の文化や習慣、宗教の破壊が現在でも後遺症となり、植民地から独立しても経済発展が進まない国も存在します。またアフリカや中東では、民族や宗教の違いを無視して、西洋列強が勝手に国境線を引いて、現地民族の移動を制限した結果、民族紛争が激化し現在まで続く混乱を招いているケースもあります。
帝国主義の終わり
1918年、第1次世界大戦への参戦を決めたアメリカ合衆国大統領のウィルソンが、世界に向けて14ヶ条の平和原則を提唱します。
平和原則には、民族自決という概念が含まれ、ヨーロッパ・非ヨーロッパの区別なく植民地を含めた領土・民族の強制的「併合」を否定し、国の在り方は、その国の国民が決める事を全面的承認した画期的な内容でした。
14ヶ条の平和原則そのままヴェルサイユ条約の基本構想になり、ソビエトは、リトアニア、ポーランド、フィンランド、エストニア、ラトヴィア、ウクライナ及び、トルコとの国境付近のアルダハン、カルス、バトゥミに対するすべての権利を放棄。
欧州ではアイルランド、フィンランド、バルト三国、セルビア人=クロアチア人=スロベニア人王国(後のユーゴスラビア王国)ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、が独立を回復。アジア、アフリカ地域では、モンゴル、アフガニスタン、イラク、イエメン、エジプトが独立しました。
14ヶ条の平和原則は、戦勝国には適用されなかったり、当のアメリカやイギリスも植民地の主権を返さないなど不平等なものでしたが、民族自決概念により、占領地域の民意を無視した併合は出来なくなり、帝国主義は停滞を余儀なくされます。
さらに第二次世界大戦後、欧州勢力が決定的に没落する事で、残されたアジア、アフリカ、太平洋の島々に至るまでが独立し帝国主義の時代は完全に終わりを告げるのです。
世界史ライターkawausoの独り言
古代より帝国は存在し、領土の拡大は近代のそれより激しい事もありましたが、支配は緩やかであり、多くは税金さえ納めてくれれば特に干渉しないという事が多いものでしたし、当時のテクノロジーでは、緊密な支配は不可能でした。
しかし、近代の帝国主義は、それが経済的理由であれ、社会的な理由であれ、支配地域の民衆を管理し、その産業構造や社会までも変容すると言う意味で、古代の帝国よりも強い後遺症を与えていると言えるでしょう。
関連記事:ポツダム宣言って何?戦後日本を決定づけた降伏文書を読んでみよう