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時代背景
ここで少し裴松之の注が付けられた時代を振り返ってみましょう。裴松之が作成した注を提出したのは429年、そして432年には後漢書がまとめられています。後漢書はその名前通り後漢時代をまとめた歴史書ですが、この二つの時代はほぼ同時期、同時代に一方がまとめられ、一方は注がつけられました。そしてこれは、決して偶然ではありません。
三国時代は晋の時代によって終焉を迎えますが、その晋の終焉の後、国は戦乱につぐ戦乱で荒れ果てていました。そしてそこに匈奴を始めとして羌族らなどモンゴル、チベット、トルコ系の五胡と呼ばれる民族が勢力を伸ばしてきたのです。この民族それぞれが覇を競うようになっていった時代を、五胡十六国時代と言います。
歴史と人々の思い
この五胡十六国時代にかなり三国時代以前の資料が失われたようです。そのためか、大量の資料、文献を集めた裴松之も注の中で「資料が無くなっているからほんとかどうかは分からない」というような言い方をしているところがあります。
そう思うと、後漢書やこの裴松之の注は、残っている文献を必死に集めて作られたものなのかもしれませんね。歴史というのは先人が記録に残していなければどんどん失われていってしまうものです。それを残そうとした人々が、そしてそのために尽力した人々がいた、そう考えると三国志の注もまた、味わい深いものですね。
ここ面白ポイント!
最期に裴松之の注について、振り返って筆者の思う所を。正史三国志というのは歴史書であり、基本的に史実がまとめられているものです。つまり歴史を振り返る、その時代に何があったか知る、もしくは調べるために見るものだと思います。
そういった「史実を知りたい」場合に、真偽不明、本当にあったかどうか分からない、そもそも一個人の主観を書かれていても「見づらいわ!」となりませんか?
不思議なことに裴松之の注には、そういったマイナス面が薄く感じるのです。それはやっぱり裴松之、裴松之先生の三国志、歴史への愛が伝わってくるからかな、なんて、裴松之の注を見るたびに思うのでした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は裴松之の注について、色々なことを述べさせて頂きました。振り返ればこの注が生まれた時代こそ、三国志というものが最も愛された時代なのかもしれません。今、この現代で見ても面白い英雄たちの記録。それはこの時代の人々から見ても面白く、魅力的だったんだなぁと思うと、何だかとても心が温かくなりますね。
参考文献:正史三国志(主に注) 後漢書
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