陳寿先生に物申した!裴松之の賈ク嫌いの原因は董卓にあり?

2020年6月29日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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kawauso編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月に「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感していただけることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。

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晋蜀の産まれ 陳寿

 

正史とも言われる三国志、それをまとめたのは陳寿(ちんじゅ)です。しかし正史にはいくつかの注釈が加えられており、この注釈をつけたのが裴松之(はい しょうし
)
ですね。そしてこの裴松之、やたらめったら()ク嫌いが目立つ人でもあります。

 

賈ク

 

その理由として良く「賈クが主を頻繁に変えたから」というものがありますが、実際に賈クが嫌いな理由は董卓(とうたく)にあり?

ということを踏まえつつ、今回は裴松之やその周辺のお話をしましょう。

 

裴松之の注釈

裴松之(歴史作家)

 

繰り返しますが、裴松之とは三国志に注釈を付けた人物です。ただしこれはただの注釈ではありません。足りない部分を補う、異説を乗せる、自分の意見も(かなり)賈ク……じゃない、書く、といったように付けていくので、裴松之自身も言っていますが信ぴょう性がなかったり、記述に齟齬が出たりもしています。

正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

なので正しく修正するという意味での注釈は薄く、むしろ注釈を付けたことで色んな異説が膨らみ、後世で討論されることもあります。ただしこの注釈こそが三国志を面白くしたのは事実だと思うのです。

 

注釈と主観

陳寿(晋)

 

陳寿が書き記した三国志は歴史書であり、できるだけ簡潔に、簡素にまとめられているという印象を受けます。そしてそこに陳寿の感情はそこまで込められていないようにも思えます。

歴史書をつくる裴松之

 

対して裴松之の注釈を悪く言えば主観が強く、私はこう思う!がとても感じられるのです。だからこそ三国志は後世で面白い読み物として受け入れられ、三国志演義が生まれたのだと思います。またもちろん陳寿に対して非難する気持ちではなく、裴松之からの敬意も感じることができるのです。

 

一方で・・・

賈詡

 

ただし、裴松之の注釈でめちゃくちゃ主観を感じることがある文章があります。それこそが賈クであり、それはもう……非難しまくっています。

李カク(李傕)、張済、賈詡

 

特に「せっかく董卓が死んだのにこいつのせいで乱世に戻った!」「こいつを荀彧(じゅんいく)荀攸(じゅんゆう)と並べないで!」「郭嘉(かくか)程昱(てい いく)と一緒にしろ!」というのは有名ですね。

賈詡

 

儒教思想の強い当時、次々に主を変えたことから儒教(じゅきょう)に反する行為であると賈クは思われ、嫌われている面も一部あったのでしょう。ただ、ここにはもう一つ、董卓暗殺の件の後の恨みも含まれているとも言われています。

 

裴松之の思いは?

賈詡(賈ク)

 

董卓が暗殺された後、賈クは李傕(りかく)に献策して董卓を殺した王允(おういん)の政権を打倒しました。裴松之はこれで乱世が更に続くことになってしまったと非難しているんですね。

賈詡

 

悪漢董卓が排除されて安心したのに、その後の乱世が生まれた、三国志が生まれてしまったのは賈クによる献策からだ、ということでしょうか。しかしここで少し疑問点が生まれます。

乱世は本当に収まったのか?

王允と呂布

 

後の世だから言えることですが、王允や呂布(りょふ)が政権をとってもまともな政治を行ったかどうかは分かりません。もしかしたら董卓よりも酷い状態が続いたかもしれません。

李カク(李傕)、郭汜、王允

 

しかし事実として賈クが献策を行ったことにより、李カクらが長安(ちょうあん)に入ることとなってしまって後漢の時代がまた終焉へ加速してしまったことは事実です。

 

賈詡

 

つまり董卓暗殺の後の行動による賈クへの非難は乱世が続いたことよりも、後漢という時代の終焉を招いた、不遜である……という非難が込められているのでは、と筆者は推測します。

 

裴松之の非難の先

賈詡

 

なので「儒教思想から賈クを非難した」のか「結果として乱世が続いたから非難した」のかは難しい所だと思いますが、筆者的には根底にある感情から前者の方ではないかと思うのです。

めちゃくちゃ強い呂布

 

董卓暗殺の後の王允と呂布の行動を見ていると、このまま後漢の時代を乱れることなく続けられたとはあまり想像できないということもありますが、乱世が続いたのが全て賈クの責任とも思えないのです。

ポイント解説をするセン様

 

なので筆者は当時の教育の方針や思想、観点から非難されたのではと想像します……いや、もしかしたらそもそも裴松之が単にただ賈クが嫌いだったのかもしれませんが、それを言ってしまうともうここまでの想像ぜんぶ無駄になってしまいますからね!

 

賈ク先生の裏切りは問題?

賈詡と曹操と張繍

 

では最後にちょっと賈ク先生の裏切り行為というか、主君替えの経緯を見てみましょう。

 

董卓から李カク(董卓が死んだので)

李カクから張済(ちょう さい)(乗り換えた)

張済から張繡(ちょう しゅう
)
(張済が死んだ後継者)

張繡から曹操(そうそう)(張繡と一緒に降伏)

 

賈詡

 

と、実は裏切った、主君変えたと言えるのは一度だけ。それも李カクに命を狙われて、という身を守るための理由もあります。良く主君を変えた主君を変えた、と言われる賈ク先生ですが、そんなに裏切っているような人ではないことを最後に弁護させて下さいね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

見返す度に思うのですが裴松之の主観と言うか、人の好き嫌いはどこに理由があるのでしょうか。その他にもやたら審配のことが好きだったり、中々面白い人でもあります。正史三国志は陳寿が書いたものですが、その注釈を見ていくだけでも結構面白いのがポイント。裴松之の注釈だけでも読みごたえがありますので、一度注釈だけに注目してみて下さい。

 

文:セン

参考文献:魏書賈ク伝

宋書 南史

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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