三国志において軍のトップである将軍、イメージとしては将軍の補佐に幕僚がいて、部下として部将が存在するイメージです。しかし、将軍の役割って一体、なんなのでしょうか?
大兵力を率いている部将と将軍では、決定的には何が違うのでしょうか。今回は、三国志を読んでいると身近な、でも、改めて何かと問われると解答に困ってしまう将軍の役割について解説します。
この記事の目次
将軍の役割とは?
では、最初に将軍の役割についてズバッと回答しましょう。
将軍とは、1つの軍に1人だけ存在し、作戦を相談する幕僚や軍楽隊、専属の親衛隊を持ち、(基本的に)その支配下に5つの部(兵団)を持ち、命令によりそれらを動かす人。
短くまとめると大体、こんな定義になります。特に軍楽隊や専属の親衛隊は将軍しか持っていないので部将との区別をする目安になるのではないかと思います。将軍について説明した所で、以降はどうして将軍が必要か?について深く解説します。
戦争の規模拡大が将軍を生んだ
では、どうして将軍と言う地位が戦争に必要になったのでしょうか?
それは、戦争の大規模化に理由があります。
太古の昔は村も小さく人口も少ないので、戦争と言っても精々数百名が出てくる程度、しかも、その数百人は同じ村の顔見知りなので、1人の指揮官が全てを取り仕切れたのです。しかし、社会が進歩して村が大きくなって都市となり、一度の戦いで数千、数万人がぶつかるようになると、とても1人で全ての兵士の動きに指示は出せません。また、動員された兵力も顔見知りや血族ばかりではなくなり、経験や勘による指揮には限界がありました。
そこで、軍の最高責任者を将軍としその下に副将や、各々の部隊を率いる校尉や司馬というポストを置いて、将軍は直接、兵に命令するのではなく、それらの部下に指示して間接的に、千や万の軍を動かすようになったのです。
将軍は危険な戦場に極力出ない
将軍は見晴らしの良い場所や、そうでないなら後方で伝令から報告を受けつつ、机の上で、部の動きを把握し、幕僚から意見を求めつつ、再び伝令を通じて校尉や司馬に指示を出します。
つまり、将軍は軍の頭脳なので、実際に戦地に出て戦うという事は稀なのです。
もっとも、戦いに敗れ敵が総攻撃をかけてきたり、敵が伏兵で奇襲を掛けてくれば、将軍にも危機が迫り剣を抜く可能性はありますが、それはアクシデントの類であり、士気を鼓舞するような必要がないなら将軍が危険な戦場に出る事はありません。
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三国志の時代の軍の構成
いつも文字ばかりだとあれなので、具体的なデータを出してみましょう。このデータは、宝島社の史実三国志の106ページの図を参考に書きました。三国志の時代の軍の規模は、12500人から2500人と数の上下が大きいのですが、このデータでは3200人を基準にしています。この表で見ると、軍は5人の伍をまとめる伍長640人、10人をまとめる火頭、320人、50名をまとめる隊頭84名と、細かく分類がされている事が分かります。
将軍が直接に指示を出すのは、裨将、校尉、司馬あたりまでの14人であり、あとは、14人がそれぞれの下部組織に命令を出す事で軍は動いているのです。
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