三国志の高官の役職で出てくる持節の節とは独自の判断で兵を処罰する権限を表しますが、これは斧鉞の形をしていたようです。
高平陵の変において、曹爽サイドの知恵袋として司馬懿に警戒された桓範ですが、上昇志向の塊であると同時にかなり短気で狂暴な性格でした。桓範が、征虜将軍・東中郎将、使持節都督青徐諸軍事に昇進し下邳に駐屯した頃、徐州刺史の鄭岐と家を巡って争い、怒った桓範は節を引き出して鄭岐を斬ろうとして失敗し、訴えられ失職しています。
鉞を振り回しても重くて早々当たらないと思うんですが、どうして刀で斬りかからなかったのか?
桓範はそれ以外にも、元部下だった鎮北将軍呂昭の配下に配属された事に耐えられず
「俺は公卿になり三公に仕えるべき人間なんだ!それを呂昭ごときに」と妻に愚痴を言うと、
「あなたは徐州でも似たような事をして人はあなたの下につきませんでした。今度もプライドが邪魔して人に頭を下げられない。そんな事では、鎮北将軍の上には立てますまい」と言われます。
図星を突かれて逆上した桓範は刀の束の輪の所で妻の腹を突き妊娠していた妻は流産した上に死んだそうです。