歴史の妙
ただ、そんな許攸にも注目するべき点があります。それは袁紹を見限って曹操に付いたこと、そして性格が悪くて処刑されたこと。
かつて霊帝を廃位させようと企み、失敗して逃走してからの再就職(二回)。そこでやり遂げたのにやらかしたのが許攸です。だからこそ史書にその名前が残された……そう思うと歴史の面白さを感じずにはいられませんね。
関連記事:霊帝が名君だったら三国志はどうなった?本当に無能だったの?
やっぱり
とは言え、霊帝廃位を失敗したことでもしかしたら、正史において不当に評価を貶められたり、功績を残されなかったかのせいもないとは言い切れません。しかしそれを考えて見ても、その発言を見る限り、慎ましくいられなかった辺りがやはり許攸の末路と後の世の評価を決めてしまったのではないでしょうか。
裏切った先でどう生きるか、それを考えられなかったのが許攸の終わりなのでしょう。そう思うとやっぱり、慎ましく生きた賈ク先生ってすごいですね!(オチ)
関連記事:賈詡は歴史を陰から操る天才である!世界史上稀にいるタイプだよね
関連記事:霊帝は近衛軍創設の為に売官で資金を造った?実は優秀な皇帝の真実
三国志ライター センのひとりごと
個人的に、許攸は優秀ではあったと思います。しかしそれは、曹操の下では違ったのでしょう。
数多く人材を集めた曹操の配下では、許攸はそこまで突出できない人物だったのではないでしょうか。そして唯一突出したのはその目に余る態度……うーん、やっぱり許攸のフォローは難しいですね。
ちゃぷり(逃走)。
参考文献:魏書武帝紀 袁紹伝 荀彧伝
関連記事:官渡の戦いを終戦に導いた許攸(きょゆう)は偉大なの!?
関連記事:3677名に聞きました!もう少しで曹操に誅殺されたのでは?と感じる人物、大調査!