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今週もお疲れ様。献帝に仕えていた荀彧

2022年5月27日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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今週もおつかれさま 三国志 荀彧

 

はじめての三国志Tvをご覧のみなさん、今週もお疲れ様でした。今回のお疲れキャラは荀彧です。

 

魏志(魏書)_書類

 

荀彧の伝記には正史三国志と後漢書がありますが、この2つの記述は微妙に違います。どうして違うのかというと後漢書は荀彧が過去に董卓に仕えた過去を隠蔽しようとしているのです。例えば荀彧の任官は永漢元年です。

 

後漢書(書類)

 

後漢書では、これが中平6年になっています。どちらも西暦189年ですが、永漢元年は董卓が献帝を擁立した後に出した年号で189年の9月の事。正史三国志の荀彧は、董卓が擁立した献帝に仕官し守宮令に就任します。つまり荀彧は、霊帝でも少帝でもなく献帝の臣だったのです。

 

荀彧

 

守宮令は、宮中の仕事をする役職で元宦官の仕事ですが、袁紹や袁術が宦官を皆殺しにして日が浅いので非宦官の荀彧が就任しています。しかし、董卓の暴政が長くは続かないと考えた荀彧は「地元の為に働きたいので吏(地方公務員)にして下さいと願い出て亢父令に異動し、その後仕事を投げ捨てて潁川に帰還しています。

 

この後、荀彧は潁川の古老を集めて、「もうじき世が乱れ潁川は戦乱の巷になるから皆で冀州に逃げよう」と呼びかけますが、荀彧の一族以外に耳を貸す者はいませんでした。よく荀彧の先見の明と呼ばれる逸話ですが最近まで献帝に仕えていたなら、董卓が何をするか把握するのは難しくないでしょう。後漢書は漢の忠臣荀彧を演出しようと正史三国志の不都合な真実を隠そうと考えたのかも知れません。別に乱世なので、荀彧が曹操以前に誰に仕官しようと編集長は気にしませんけどね

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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