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諸葛亮が東南の風を吹かせるエピソードの元ネタは?怪しい術を使う諸葛亮のルーツ

2022年5月28日


 

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孔明 東南の風

 

三国演義(さんごくしえんぎ)でも最大の山場として知られる赤壁(せきへき)の戦い。そこで諸葛亮(しょかつりょう)は東南の風を呼び孫権(そんけん)劉備(りゅうび)を勝利に導きます。ただ、これはご存知の通り創作です。正史の周瑜伝(しゅうゆでん)には諸葛亮に関連する記載はなく、ただ東南の風が激しく吹いていた(時東南風急)とあります。

 

はてなマークな劉備と袁術

 

そこで気になるのが諸葛亮の風を呼ぶエピソードがどのようにして生まれたのか、なぜ魔術師のようなイメージができたのかという点です。今回はそのルーツを探っていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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元代に作られた雑劇が元ネタ?

西遊記巻物 書物_書類

 

元代に作られた雑劇の演目の中にも赤壁の戦いに関連するものがあります。王仲文(おうちゅうぶん)が作った「七星壇諸葛祭風」と作者不明の「兩軍師隔江鬥智」というお話です。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

「兩軍師隔江鬥智」は赤壁の戦いがメインですが、序盤で諸葛亮が祭壇上で3日3晩祈祷を行う描写があり、火計によって曹操(そうそう)軍83万を退けています。「七星壇諸葛祭風」は内容を確認できる文献が見当たりませんでしたが、インターネット上にある情報によれば三国志平話(さんごくしへいわ)の内容に近いと言われています。

 

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曹操孟徳

 

 

 

三国志平話における諸葛亮

三国志平話

 

雑劇と同じく元代頃に編纂(へんさん)された三国志平話にも諸葛亮が風を呼ぶシーンがありますが、演義とは内容が若干違います。まず周瑜を始めとする諸将が集まり、曹操軍を打ち破るための軍議を開始。そこで諸葛亮以外の全員が手のひらに「火」という文字を書きますが、諸葛亮だけは「風」と書きました。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

皆が火攻めを提案することを見越して、火計には風が不可欠だという諸葛亮は言います。それに対し周瑜は、風は自然現象だから操ることはできないと諸葛亮に不信感を向けます。それに対し諸葛亮は有史以来、風を呼べる人物が3人いると返答。1人は蚩尤(しゆう)を討った黄帝(こうてい)、もう1人は舜帝(しゅんてい)の時代に司法を司っていた皋陶(こうよう)、そしてもう1人が自分であると名を挙げたのでした。

 

 

黄帝も皋陶も神話に出てくる伝説の人物ですが、平話の諸葛亮は自らがそれと等しい存在であると言っているのです。ただ、平話における諸葛亮は登場時点から自身が神仙(しんせん)であると述べているので、風を呼べたとしても全く不思議はありません。疑問が残るとすればなぜ神仙という設定なのかということです。

 

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諸葛亮の神格化と物語への影響

関帝廟で関羽と一緒に祀られる周倉

 

諸葛亮が神仙として描かれた理由は恐らく南宋時代に進められた神格化による影響です。南宋時代の皇帝であった高宗(こうそう)は諸葛亮(威烈武霊仁済(いれつぶれいじんさいおう))と関羽(かんう)壮繆義勇王(そうぼくぎゆうおう))に神号を送っています。

 

扇からレーザー光線を放つ孔明

 

この時点では神号の長い諸葛亮の方が格上でなので、三国志平話でも諸葛亮の方が活躍の場や神様を名乗るなど印象が強いです。また、この頃あたりから諸葛亮は半人半妖(半分妖怪)、半人半仙(半分神様)というイメージが定着していきます。

 

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関羽

 

 

諸葛亮=道士というイメージ

寿命が伸びる儀式を行う孔明

 

神様だから風が呼べるというのはなんとなく分かるものの、なぜ諸葛亮は風を呼ぶ際に祭壇を設け、羽扇を持って祈祷を行ったのでしょうか。これは南北朝時代から作り上げられた道士のイメージが影響しています。

 

五斗米道(はじめての三国志)

 

三国時代には太平道(たいへいどう)五斗米道(ごとべいどう)など道教が発展しましたが、それが南北朝時代にさらに発展し、世捨て人となった仙人や道士の生活ぶりが一般の人たちの中に浸透しました。

 

3000人の配下で孔明の庵を包囲する武闘派な劉備

 

諸葛亮は劉備に仕えるまで草蘆で隠居生活を送っていたことから、諸葛亮=道士というイメージを作るのに一役買ったようです。そこから随唐代に諸葛亮の軍略家や発明家として一面が大きく注目されるようになりました。こうしたイメージが現在のスーパー軍師のイメージの一翼になっています。

 

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三国志平話

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

三国時代から振り返ると諸葛亮は死後に忠臣として評価をされ、同時に発展の途上にあった道士のイメージが諸葛亮と同化し、隋唐代には軍略や発明品などがピックアップされました。

 

四輪車に乗る孔明

 

そして南宋時代に神号を得て神格化し、風を呼ぶといった人に非ざる知識や能力を持つ人物として描かれていきました。関羽は同じ時期に神格化されたにも関わらず、死後に化けて出るくらいしか神様っぽいエピソードがありません。

 

大きすぎる関羽像

 

この違いは恐らく道士や仙人というイメージが付いたかどうかの差のように思います。なので、生前の行いが違っていれば、諸葛亮と関羽の描かれ方もまた違っていたのかもしれません。

 

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赤壁の戦い

 

 

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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