三国志演義の主人公、劉備。しかし、そんな彼の半生は群雄の間を渡り歩く流浪の人生でした。実は劉備と裏切り者で名高い呂布は、同じく6人の群雄の間を渡り歩いています。
ところが裏切り者イメージが強い呂布に対し、劉備はそうでもありません。どうして、差がついたのでしょうか?
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飛ぶ鳥跡を濁しまくりの呂布
呂布の場合、養父である丁原と董卓を殺していますから、元々ダーティーなんですが、輪をかけて世話になった群雄に酷い仕打ちをして追い出されています。
呂布は袁紹の世話になると部下に略奪を許し袁紹に殺意を抱かれて逃亡。劉備の世話になると袁術に唆されて劉備の本拠地徐州を乗っ取っています。呂布は兗州でも陳宮に唆され曹操不在の城を乗っ取りました。
飛ぶ鳥跡を濁さずどころか、盛大に水をはねてウンコブリブリが呂布の特徴なのです。これでは、誰にも歓迎されないのは当然です。
報連相がしっかりしていた劉備
逆に劉備は、公孫瓚の下を去る時も、袁紹の下を去る時もこれというトラブルを起こしていません。また、劉備は群雄の下を去る前に、次に世話になる群雄に部下を派遣してアポを取っていて、行き場を無くし路頭に迷う事がありませんでした。
劉備は、マメな人物で自分に悪評がつかないように報連相をしっかりして、去り際に悪印象が残らないようにしていたのです。この点は、21世紀に生きる私たちも参考に出来るのではないでしょうか?