三国志演義の主人公劉備はなぜ裏切り者と呼ばれない?

2022年11月5日


二刀流の劉備

 

三国志演義の主人公、劉備。しかし、そんな彼の半生は群雄の間を渡り歩く流浪の人生でした。実は劉備と裏切り者で名高い呂布(りょふ)は、同じく6人の群雄の間を渡り歩いています。

 

袁術と呂布

 

 

ところが裏切り者イメージが強い呂布に対し、劉備はそうでもありません。どうして、差がついたのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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飛ぶ鳥跡を濁しまくりの呂布

曹操と呂布

 

呂布の場合、養父である丁原と董卓を殺していますから、元々ダーティーなんですが、輪をかけて世話になった群雄に酷い仕打ちをして追い出されています。

 

呂布、黒山賊

 

呂布は袁紹の世話になると部下に略奪を許し袁紹に殺意を抱かれて逃亡。劉備の世話になると袁術に唆されて劉備の本拠地徐州を乗っ取っています。呂布は兗州でも陳宮に唆され曹操不在の城を乗っ取りました。

 

方天画戟を持つ呂布

 

飛ぶ鳥跡を濁さずどころか、盛大に水をはねてウンコブリブリが呂布の特徴なのです。これでは、誰にも歓迎されないのは当然です。

 

 

報連相がしっかりしていた劉備

靖王劉勝の子孫と勝手に名乗る劉備

 

逆に劉備は、公孫瓚の下を去る時も、袁紹の下を去る時もこれというトラブルを起こしていません。また、劉備は群雄の下を去る前に、次に世話になる群雄に部下を派遣してアポを取っていて、行き場を無くし路頭に迷う事がありませんでした。

 

優秀なのに地味すぎる孫乾 +劉備

 

劉備は、マメな人物で自分に悪評がつかないように報連相(ほうれんそう)をしっかりして、去り際に悪印象が残らないようにしていたのです。この点は、21世紀に生きる私たちも参考に出来るのではないでしょうか?

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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