顔良を瞬殺した関羽と命知らずの甘寧。
三国志演義では2人の戦いは描かれていませんが、正史三国志においては、両者が対峙する場面が記されています。
関羽と甘寧が対峙した場面
それは、劉備が蜀入りの後、荊州の領有を巡り孫権と揉めた時です。魯粛は関羽に備えて益陽を守り、関羽は軍勢3万人からえりすぐりの5千人を率いて浅瀬を選んで渡河しようとします。
魯粛はどうしようかと群臣と協議しますが、この時に手勢300人を率いた甘寧が「500人を貸してもらえれば、関羽が渡河するのを阻止できます」と豪語。魯粛が千人を与えると甘寧は、関羽と対峙します。
関羽を退けた甘寧
関羽は甘寧が千人で対峙していると聞くと渡河を中止して柴を集めて砦を築いて軍営を敷きました。この地点を関羽瀬と呼んだようです。孫権は関羽を退けた甘寧を褒めて西陵太守とし、陽新・下雉県を与えました。
なぜ関羽は退いたのか?
これだけ見ると関羽が甘寧に恐れを為したようですが、当時の関羽は荊州南郡の支配権を劉備に与えられたわけではなく劉備の指示なしに呉との全面対決はできない立場でした。
実際に、関羽はその後、単刀赴会の魯粛と協議して劉備に少し不利な状態で領土を分割しています。
三国志ライターkawausoの独り言
関羽が甘寧を恐れたわけではなさそうですが、動けない関羽を見越して大見得を切ったとすれば甘寧もなかなかの策士と言えそうです。
参考:正史三国志甘寧伝