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史実の李信はダメダメ将軍!どうしてキングダムでは主人公になったの?


徐盛(じょせい)呉の将軍

 

週刊ヤングジャンプに連載されている春秋戦国時代を舞台にした群像活劇キングダム、その主人公が信です。信は李信という名前で司馬遷の史記にも登場していて、実在の人物がモデルですが、実際の李信の活躍は漫画に比較するとかなり見劣りします。だとすると、どうして原作者の原泰久は、李信を主人公にしたのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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史実の信の功績

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

史実の李信の活動期間は16年を超える漫画の主人公李信に比較しても短く、8年間に過ぎません。その最初の手柄は王翦の配下として趙の太原、雲中に出征したというもので、ここでは大きな手柄は挙げていません。しかし紀元前226年に秦王政暗殺を企んだ燕国の王都、薊を攻略して燕王と皇太子を敗走させ、皇太子を捕虜にする手柄を立てます。

 

 

楚の項燕に大敗し秦を窮地に追い込む

孟達を討伐する司馬懿

 

ここまでは良い感じですが、さらに翌年、李信は20万の軍勢で蒙恬と共に楚に攻め込み、楚の項燕の前に大敗します。勢いに乗った項燕は秦の函谷関まで攻め込み、秦王政は隠居していた王翦を呼び戻して60万の大軍を与えて項燕を迎撃しないといけないピンチを招きました。このように李信は功罪で見ると罪の方が大きく、漫画の主人公としては正直微妙なのです。

 

 

大敗しても秦王政に許された事が漫画のヒント

始皇帝

 

では、どうしてそんなダメダメ李信がキングダムでは主人公なのでしょうか?それは、李信が楚を相手に20万の大軍を潰滅させていながら、秦王政に処罰された形跡がない事です。秦は厳罰主義の国であり、戦争の大敗は将軍の死刑で償わせるのが当然でした。

孟達

 

ところが、李信と蒙恬については、20万の大軍を失い、項燕に函谷関を攻められる失態を演じながら処罰が下された様子がなく、李信は数年で復帰して、王賁や蒙恬と共に出陣して斉国を滅ぼしたりしています。原作者の原泰久は、李信には秦王政との特別な絆があるからこそ許されたと仮定し、そこから少年時代の政を救う下僕の少年信を創作し漫画キングダムが生まれたのでしょう。

 

 

負けても諦めなければやり直せるというメッセージ

荀彧

 

また、李信が20万の兵力を失う大敗を経験しながら再起して斉を滅ぼすまでに至る過程には、負けても失敗しても諦めなければやり直せるというメッセージを込める事も可能です。失敗する、負けるというのは多くの若者が経験する事なので青年漫画のテーマとしてもピッタリ合致していると言えますね。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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