黒船と最初に交渉した浦賀奉行所与力[中島三郎助]

2022年12月3日


 

ペリー(幕末)

 

日本はトップは無能だが現場の職員は優秀だというのは海外の評価です。本当はどっちも優秀であったほうがいいのですが…さて、日本史の大事件、黒船来航でも最初に外国の脅威に立ち向かったのは征夷大将軍でも幕府大老でもなく浦賀という小さな港の奉行…の配下である与力でした。与力は奉行を補佐する地位で旗本ですが、もちろん奉行と比較できる地位ではありません。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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奉行に代わり黒船と交渉した中堅職員中島三郎助

幕末_密室政治(軍議)

 

 

しかし、ペリーがどんな出方をするか読めない状態で、浦賀奉行が迂闊(うかつ)に出ていき、不利な約束を交わしても後々困るので、中島三郎助が副奉行という奇妙な役職名でオランダ語通訳の堀達之助を引き連れて黒船に乗り込んだのです。

 

 

黒船の特徴を勝手にメモし翌年には洋式帆船が出来る

ガレオン船(世界史)

 

中島三郎助は身分は低いものの大胆な男で、日本語、オランダ語、英語の三か国語が飛び交う中で、黒船の調査を独自に開始、勝手に蒸気機関や大砲の寸法や性能をメモして、まとめると、それを元に幕府に洋式帆船を建造するように意見書を出し、翌年には初の洋式帆船、鳳凰丸が完成しました。

 

 

与力ながら日本の将来を考えた三郎助

大村益次郎 幕末

 

 

その後も中島の向学心は止まらず、長崎に出来た海軍伝習所の一期生として学び、そこで得た西洋の知識を元に、日本最初の乾ドッグを建設して咸臨丸の修理をするなど幕末の日本史に少なからぬ貢献をしていました。「俺は与力だから、政治の事なんか関係ないね」ではなく、小さな浦賀与力から日本全体の事を考えて活躍した中島三郎助は優秀な現場職員の元祖と言えるでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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