日本が戦後の焼野原から一気に経済大国にのし上がった隠れた理由は?後編

2022年12月10日


 

日本史01 煙を吐く工場

 

 

世界史の奇跡と他国から賞賛され驚かれた戦後日本の高度経済成長。大東亜戦争後、国土が焦土と化した日本が急激に復興した理由として教科書ではGHQ主導による「財閥解体」や「農地解放」「労働組合結成の促進」がよく出てきます。しかし、これらは日本経済を民主化する土台であり、これだけで日本が経済大国にのし上がったわけではありませんでした。今回は戦後日本が一気に経済大国にのしあがった隠れた理由、後編です。

 

前回記事:日本が戦後の焼野原から 一気に経済大国にのし上がった隠れた理由は?前編

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦後日本の有様

張良

 

 

敗戦直後の日本では、国土が焦土化した事でライフラインが破壊され多くの企業も活動を停止していました。またポツダム宣言受諾で海外の植民地を失った事や兵士の復員により、数百万人の国民が帰国し食糧不足と失業率の悪化に拍車をかけていました。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

この状況で政府は基幹産業である石炭と鉄鋼産業の復興に巨額の予算をつぎ込み、また、これらの基幹産業が潰れないよう補助金を交付して手厚く保護します。しかし予算確保のための紙幣濫発は急激なインフレとなり物価は暴騰、手厚い補助金は財政赤字として累積し政府の体力を奪っていました。敗戦後の日本政府は税収がほとんどなく、アメリカの財政支援が主要な財源という危機的な状態だったのです。

 

 

ドッジラインによる痛みを伴う改革

みずほ銀行風

 

 

これに対し、アメリカはデトロイト銀行頭取、ジョセフ・ドッジを日本に招いて財政再建を要請。ドッジはドッジラインと呼ばれる政策を打ち出して補助金を削減し緊縮財政を命じ、輸出を強化するために為替レートを1ドル=360円で固定しました。

 

国会議事堂

 

 

補助金削減とデフレ誘導により市場から資金が消えると、資金繰りが悪化した企業が次々に倒産し、深刻なデフレ不況が到来しますが、体力のない企業が潰れて経営合理化に成功した企業が生き残った事で、日本の国際競争力は強化されます。

 

 

朝鮮戦争が経済大国への踏み台に

紅茶一揆(イギリスの紅茶文化と戦車)

 

 

日本経済が世界で勝負する準備が出来たところで勃発したのが冷戦の縮図である朝鮮戦争でした。これはソビエト及び中華人民共和国の支援を受けた北朝鮮が韓国に攻め込み、韓国はアメリカを中心とする国連軍の支援を受けて反撃した構図でした。まさに朝鮮戦争は共産圏のソビエト・中国と資本主義圏のアメリカの代理戦争だったのです。

 

鉄道(蒸気機関)に乗るkawausoさん

 

 

 

海を越えた隣国の戦争は日本の脅威でしたがビジネスチャンスでもありました。アメリカは日本の経済復興のために大量の軍需物資を購入したのです。朝鮮特需と呼ばれた空前の好景気で、日本は1950年から1953年までの3年間で10億ドルの契約を取り付け、1955年までに間接特需として36億ドルを稼ぎました。

 

この間、アメリカは技術者を派遣して日本製品の質の向上や最新技術の指導を積極的におこなっていて、戦中から海外技術の途絶に悩んでいた産業は息を吹き返す事になります。

 

 

不景気を抜け出すのは神武景気から

毛沢東(もうたくとう)

 

 

しかし、朝鮮特需は日本の輸出産業を強化し潤したものの、庶民生活までが好景気の恩恵に預かったわけではありませんでした。朝鮮戦争の勃発で日本は強引に資本主義陣営に組み込まれ、北朝鮮や中国との貿易を一方的に禁止されます。そして価格が高いアメリカ製品の輸入を義務付けられ輸入が輸出を上回ったのです。

 

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

 

また、輸出企業も戦争がいつ終わるか不透明な事から、多くの在庫を抱えるような事態には慎重で雇用を増やすよりは経営の合理化で対応する事が多く、日本国内は輸入の減少による欠乏インフレに苦しむ事になります。日本経済が不景気を抜け出すのは、朝鮮戦争が停戦となりアメリカの貿易禁止措置が解かれ、欠乏インフレが解消される1954年からでした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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