現在の近代文明の基礎になっているのは、数学知識です。数学が分からないと統計も取れませんし、正確な地図を造る事もできず、コンピュータのプログラムもできません。そんな身近な数学、日本では江戸時代に世界水準に到達しますが、その理由が節税対策だったってご存知ですか?
少しでも年貢を抑えるため、農民が数学に没頭した
江戸時代、日本で数学が急速に発展した理由は節税対策でした。当時の農民は、毎年の年貢を少しでも安く抑えようとして、土地の収穫高を正確に測ろうとしたのです。その為には数学の知識が必要不可欠なので、農民はこぞって数学を学んで、過剰に課税される事を回避しようとします。
江戸時代に数学が盛んになった理由
日本史において田畑に租税がかけられたのは7世紀の口分田が最初です。口分田は一辺を109メートルで区切った正方形で面積も均等なので口分田の数を数えれば、凡その租税が分かりました。しかし、その後、荘園が誕生し口分田が形骸化すると田畑は地形に合わせて丸くなったり五角形になったり、飛び地が生まれたりして四角形の面積が出せればいいという話ではなくなります。
それに、安土桃山時代からは自己申告ではなく、検地により田畑の面積が規定されるようになり農民の負担が増えました。これでは数学の知識を駆使して田畑の面積を算出して、正当な年貢率を出さないと役人の言うがままに搾取されてしまいます。そこで、複雑な田畑の面積を計測し、無法な税金に対抗すべく数学が発展したのです。
時代の要求に応え多くの数学者が生まれる
数学の需要の高まりは、農民に数学を教える人材を多く誕生させます。有名なのが関孝和ですが、彼以外にも多くの数学者が誕生し、中には村を回って数学を教えて生計を立てる数学講師になる人まで出ました。江戸時代の数学者は農民の要求に応え、オイラー関数や、ラプラス展開、微分積分法などを独自に考案し、日本の数学水準を世界レベルまで引き上げたのです。
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