NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で黒執権北条義時に未来を託された形になった北条泰時。武士の法典である御成敗式目を制定し、インテリなイメージがある泰時ですが実は承久の乱に勝利した時まで漢文を読む事が出来ない無学な人だったそうです。
降伏した後鳥羽上皇だが講和文書を読める武士がいない
19万人の鎌倉軍を率いて鳴り物入りで京都に入った総大将泰時、怯えた後鳥羽上皇は、急いで講和文書を書いて泰時に渡しました。しかし、泰時は全文漢字の講和文が読めません。そこで家来の岡崎三郎兵衛尉に「だれぞ上皇様の勅書を読める者はいないか?」と尋ねると「それでしたら武蔵国出身の藤田三郎という男が学問があり読めるかと思います」と返答。なんとかかんとか、それが講和文である事を理解し、赤っ恥をかかずに済んだとか…なんと19万人もいる御家人の中で漢文を読めるのはただ1人というのが当時の武士の平均でした。
学問がない悔しさから猛勉強
しかし、内省的な泰時はここからが違います。「恐れ多くも上皇様の勅が読めなかったなどとは末代までの恥。鎌倉に戻ったらちゃんと学問をせねば」と言う事で、鎌倉に戻ると先生に就いて古今の書物を読んで猛勉強し、そのお陰で武士の法典である御成敗式目を編纂するだけの知力を身に着ける事が出来ました。
漢字を使わない武士に優しい御成敗式目
泰時は無学な文盲が多い鎌倉武士の為に御成敗式目では難しい表現を使わず、漢字もできるだけ減らして分かりやすくする事を心掛けました。そのお陰もあり、御成敗式目は武士の慣習法として、明治維新までの650年間、日本で使われ続けたのです。
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