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北条泰時も無学だった?後鳥羽上皇の文書が読めない泰時【鎌倉殿】

2022年12月27日


 

御成敗式目を制定した北条泰時

 

 

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で黒執権北条義時に未来を託された形になった北条泰時。武士の法典である御成敗式目を制定し、インテリなイメージがある泰時ですが実は承久の乱に勝利した時まで漢文を読む事が出来ない無学な人だったそうです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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降伏した後鳥羽上皇だが講和文書を読める武士がいない

後鳥羽上皇は佐渡島に島流し

 

 

19万人の鎌倉軍を率いて鳴り物入りで京都に入った総大将泰時、怯えた後鳥羽上皇は、急いで講和文書を書いて泰時に渡しました。しかし、泰時は全文漢字の講和文が読めません。そこで家来の岡崎三郎兵衛尉に「だれぞ上皇様の勅書を読める者はいないか?」と尋ねると「それでしたら武蔵国出身の藤田三郎という男が学問があり読めるかと思います」と返答。なんとかかんとか、それが講和文である事を理解し、赤っ恥をかかずに済んだとか…なんと19万人もいる御家人の中で漢文を読めるのはただ1人というのが当時の武士の平均でした。

 

 

学問がない悔しさから猛勉強

人柄も優れ政務も有能だった北条泰時.jpg

 

 

しかし、内省的な泰時はここからが違います。「恐れ多くも上皇様の勅が読めなかったなどとは末代までの恥。鎌倉に戻ったらちゃんと学問をせねば」と言う事で、鎌倉に戻ると先生に就いて古今の書物を読んで猛勉強し、そのお陰で武士の法典である御成敗式目を編纂するだけの知力を身に着ける事が出来ました。

 

 

漢字を使わない武士に優しい御成敗式目

坂東武士の言い分を聞いて源頼朝に取り大江広元

 

 

泰時は無学な文盲が多い鎌倉武士の為に御成敗式目では難しい表現を使わず、漢字もできるだけ減らして分かりやすくする事を心掛けました。そのお陰もあり、御成敗式目は武士の慣習法として、明治維新までの650年間、日本で使われ続けたのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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