江戸の人口は18世紀初頭には推定100万人を超え、世界一の大都市に成長した事は知られています。では、どうして江戸にはこれだけの人口が集まったのでしょうか?
江戸は江戸城のお陰で誕生した
江戸が発展した理由は将軍が住んでいる天下のお膝元だからじゃない?確かにそれもあるでしょう。しかし、同じように将軍が住んでいた室町時代の京都や鎌倉幕府の所在地である鎌倉は、江戸のような急激な膨張を起こしませんでした。どうして、このような差が生まれたのか?それは、江戸には江戸城が築城されたからなのです。
天下一江戸城の全貌
現在の江戸城の敷地は皇居になっていて、普段は入れないので外から見て大きいなと思う事はあっても、敷地の広さを実感する事はなかなか出来ません。例えば江戸城の敷地は、230ヘクタールもあり、2位である大阪城の2倍、姫路城の10倍もあるのです。どうして、こんなに規模がでかいのか?それは江戸城が内堀の中にある江戸城をメインとした内郭と外側の城下町を含む外郭に分けられるからです。そのため、江戸城の範囲は西を四ツ谷駅、東を浅草橋駅、北を水道橋駅、南では新橋駅が含まれるほど広大でした。城下町まで城内に組み込むなんてズルいと思うかも知れませんが、家康は江戸防衛の人員確保のために城下町を一から造ったので、これも江戸城の一部なのです。
広大な江戸城を築くための天下普請
しかし、空前の大きさの江戸城はとても徳川家だけの財力では築城できませんでした。そこで家康がおこなったのが「天下普請」です。天下普請とは家康が諸大名に号令を掛けて、自発的に江戸城を築城するように呼び掛けた大土木工事です。もちろん自発的にと言っても実際は、徳川家に対する忠誠を試しているので断れば謀反の疑いありとされます。
そのため諸大名はこぞって江戸にやってきますが、この江戸城、最終的に完成するまで半世紀もかかっているので、諸大名や人夫のための本格的な住まいが必要になりました。こうして、江戸城に付随する形で大名屋敷や、旗本、御家人の屋敷が整備されていきます。こうして、大勢の武士が天下普請で呼び集められた事が江戸が空前の発展をする原動力になりました。
世界一の大都市江戸が誕生したのは、巨大な江戸城が築城されたお陰だった。後編に続きます。
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