影武者といえば武田信玄や徳川家康で有名です。また「元の木阿弥」という慣用句は、筒井順慶の父に声が似ていた木阿弥という男が病死した順慶の父として振る舞い順慶が元服するまで影武者を務めたという逸話から来ているそうです。それはそれとして、この影武者本当にいたのでしょうか?そして、どの程度似ていたのでしょう?
記録にはないが「いた」と考えられる
影武者は戦国大名のトップシークレットであり、公文書の中でもその存在を明かす事はありません。影武者が影武者とバレては意味がないからです。しかし元の木阿弥という慣用句があったり、武田信玄の死後、顔が似ていた弟の武田信廉が影武者を務めたなどの話がある事からいたのではないかと考えられます。
あまり似てなくてよかった
映画やドラマでは影武者ぶりを強調するために、一人二役で撮影される事も多い影武者ですが、実際は、そこまで克明に似せる必要はありませんでした。背格好や年齢、声が似ていれば、まあまあバレなかったと考えられます。戦国時代には写真もなく、テレビも新聞もネット環境もないので戦国大名の顔なんて身内や重臣以外は知らなかったのです。
当時は屋敷も薄暗く顔をマジマジ見られなかった
また、当時の屋敷は窓ガラスもなく昼でも薄暗い場所であり、大名の居住地は屋敷の奥にあります。そのため何度か大名の顔を見ている敵の使者でもハッキリ顔が分る所まで近づいてマジマジと見る機会はそうはありません。また戦場では多くの場合、大将は面頬と呼ばれる鉄の仮面をつけていたので、背格好さえ似ていれば本物かどうかなんて敵には区別がつきませんでした。
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