戦国時代に影武者はいた?どのくらい似ていた?【どうする家康】

2022年12月29日


 

どうする家康 正面ver

 

 

影武者といえば武田信玄や徳川家康で有名です。また「元の木阿弥」という慣用句は、筒井順慶の父に声が似ていた木阿弥という男が病死した順慶の父として振る舞い順慶が元服するまで影武者を務めたという逸話から来ているそうです。それはそれとして、この影武者本当にいたのでしょうか?そして、どの程度似ていたのでしょう?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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記録にはないが「いた」と考えられる

真田丸 武田信玄

 

 

影武者は戦国大名のトップシークレットであり、公文書の中でもその存在を明かす事はありません。影武者が影武者とバレては意味がないからです。しかし元の木阿弥という慣用句があったり、武田信玄の死後、顔が似ていた弟の武田信廉が影武者を務めたなどの話がある事からいたのではないかと考えられます。

 

 

あまり似てなくてよかった

自らの死を秘密にした武田信玄

 

 

映画やドラマでは影武者ぶりを強調するために、一人二役で撮影される事も多い影武者ですが、実際は、そこまで克明に似せる必要はありませんでした。背格好や年齢、声が似ていれば、まあまあバレなかったと考えられます。戦国時代には写真もなく、テレビも新聞もネット環境もないので戦国大名の顔なんて身内や重臣以外は知らなかったのです。

 

 

当時は屋敷も薄暗く顔をマジマジ見られなかった

名古屋城

 

 

また、当時の屋敷は窓ガラスもなく昼でも薄暗い場所であり、大名の居住地は屋敷の奥にあります。そのため何度か大名の顔を見ている敵の使者でもハッキリ顔が分る所まで近づいてマジマジと見る機会はそうはありません。また戦場では多くの場合、大将は面頬と呼ばれる鉄の仮面をつけていたので、背格好さえ似ていれば本物かどうかなんて敵には区別がつきませんでした。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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