世界一の大都市江戸が誕生したのは、巨大な江戸城が築城されたお陰だった(後編)

2022年12月29日


 

江戸城

 

江戸の人口は18世紀初頭には推定100万人を超え、世界一の大都市に成長した事は知られています。では、どうして江戸にはこれだけの人口が集まったのでしょうか?今回はその後編です。江戸城建築の「天下普請」で日本中の大名が江戸に集まった結果、江戸はどうなっていくのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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武士を食わせるために町人屋敷が出来た

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

 

さて、土木工事に従事する大名屋敷や御家人、旗本屋敷は出来ましたが、武士階級は戦うのが仕事の純粋消費者です。そこで武士の胃袋を満たし生活必需品を生産するために、日本中から大勢の人々が江戸にやってきて武士の消費を支えるようになります。

参勤交代

 

 

江戸城があらかた完成すると幕府は、諸大名に人質を出させて江戸住まいを命じ、大名は一年ごとに国元と江戸を往復する参勤交代が成立しました。このため、江戸城が完成しても武士人口は減る事がなく、江戸は軍人である武士が50万人、非戦闘員である町人が50万人という軍都になったのです。

 

 



江戸城が江戸を築いた原動力だった

野望を持ち始めた徳川家康

 

 

江戸は元々、複数の川が入り組んだジメジメした湿地帯でした。そのままの場所に屋敷を立てると病人が出てしまうので、家康は山を切り崩して湿地を埋め立て、運河を掘削して水を引いています。また海に近い江戸は井戸を掘っても塩水が出るので神田上水を開削して水道を通すなど、江戸城を守るライフラインを維持する為に、大規模な公共事業を幾つも起こしています。つまり、家康は江戸を西の侵略から守る為に巨大な江戸城を必要とし、江戸城を造る為に、まず江戸を造らざるを得なかったのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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