徳川家康はドケチではない?お金の活かし方を知っていた家康に学ぼう

2023年1月1日


 

タヌキ徳川家康

 

 

2023年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康です。天下を統一した人物の常として家康には敗者の嫉妬が入り交じった老獪で狡猾なタヌキオヤジのイメージがありますが、それに加え家康はドケチであったから天下を取れたという話もあるのです。老獪で狡猾でドケチなら人に好かれる要素はゼロですが、それは本当なのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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家康のドケチエピソード

伊賀越えを敢行した徳川家康

 

家康のドケチエピソードは幾つか伝わっています。例えば天下統一後、トイレで大を済ました家康が尻を拭こうとすると落し紙が風で飛んでいきました。すると家康はお尻丸出しで紙を追いかけ、その無様な姿を家臣に見られてしまいます。しかし家康少しも慌てず「わしは落し紙一枚無駄にしないから天下を取れたのだ」と言い放ったとか…

男気溢れる趙雲

 

家康のドケチぶりは家臣にも向けられます。当時フンドシは白でしたが、家康は白だと汚れが目立つから何度も変えないといけない。黄色のフンドシにしなさいと奨励したそうです。なんとも汚いケチぶりですね。

 

家康は活きた金を使う達人だった

武田信玄と徳川家康

 

こんな逸話を聞くと、家康が僅かな金も惜しむ守銭奴だったのかと思いますが、一方で家康は必要な時にはドーンとお金を出しました。例えば家康の所領があった三河の矢作川が氾濫し橋が流された時の事です。当時は橋が流されると、渡し舟を橋の代用にする事が多かったのですが、家康はすぐに大金をかけ橋を架け直しました。家康の普段のケチぶりから見ると正反対の行動ですが、家康は渡し舟は安上りでも、一度に大勢の人間が渡れないし、渡し賃も発生するので領内の物流が滞り、長期的に見ると税収が減ると考えたのです。

 

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江戸の経済繁栄を担保した三貨制

天下を収めた徳川家康

 

また、家康は江戸時代の経済発展に寄与する大きな散財をしています。それが、小判と銀と銅銭を通貨として流通させる三貨制でした。戦国時代まで日本の貨幣は銅銭のみで、それは重く、大きな商売をするのに不便でした。また銅銭は中国からの輸入に頼っていたので、輸入が滞ると銅銭が摩耗して劣化したビタ銭になって、使いづらくなり経済の停滞を招いたのです。

日本史 小判(お金)

 

そこで家康は倹約して貯め込んでいた金銀銅を放出して新しい貨幣を造りました。小判や銀貨の登場は銅銭の使用量を減らし、大きな商売をやりやすくします。また幕府が貨幣を鋳造する事で劣化した貨幣は回収されるようになり、経済の円滑な流通を妨げていたビタ銭が消滅したのです。

 

お金を大事に使った家康

鳥居忠吉

 

家康には鳥居忠吉という財政手腕に長けた老臣がいました。桶狭間の戦いの後、本拠地の岡崎城に帰った家康ですが、それまで今川家の人質でろくに財産もないのでこれからどうしようと途方に暮れていました。この時、忠吉は密かにため込んでいた財産を家康に見せて、これを使うように進言したそうです。家康の中には「忠吉が苦労して貯めたお金を一銭も無駄にはしまい」という決意が生まれ、それが表面上はケチに見える家康の性格となったのでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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