忍者の里といえば三重県の伊賀と甲賀ですが、実はこの2つ以外にも忍者の故郷があるってご存知でしたか?そんな忍者の里、東京の原宿にあるのです。
本能寺の変後、窮地に陥る家康
徳川家康は織田信長に招かれて大坂見物をしている時、本能寺の変に遭遇します。京都から堺は近く、謀反したのが明智光秀と聞いた家康は絶望。近くのお寺に入っていき、落ち武者狩りに遭って首を獲られるより潔く、ここで腹を切ろうとします。しかし本多忠勝に諫められて考えを変え、逃げられるだけ逃げてみようと決意しました。
家康の伊賀越えを支えた伊賀忍者
しかし、家康の前途は多難でした。最短距離で逃げるには伊賀の山々を越える必要があったのですが、このあたりは伊賀忍者のテリトリーであり、天正伊賀の乱で織田軍の虐殺にあった伊賀忍者は信長を恨んでいて、信長の同盟者である家康も恨まれていました。
ここで家康を救ってくれたのが伊賀忍者の一部で、そのお陰もあり、家康は大変な苦労の末に伊勢国に出て、そこから船で三河国に逃げる事ができたのです。
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関ケ原の戦いの後、原宿に土地を貰う
家康を救った伊賀忍者は、そのまま家康に付き従い、同じく先祖が伊賀出身だった服部半蔵を頭として仕え、1600年現在の原宿表参道周辺にあった旧隠田(おんでん)一円に領地を拝領し共同生活を開始しました。このように伊賀忍者はかつて原宿に住んでいたのです。
伊賀忍者が崇拝した隠田神社
伊賀忍者は隠田一円に領地を貰うと、地元民が崇拝していた産土神(うぶすながみ)を第六天社として祀り、神社は明治維新後に隠田神社に改称されました。原宿は明治維新後も長い間、田圃が広がる農村でしたが、大正9年(1920年)渋谷区に明治天皇を祀る明治神宮が建立されると、一気に人通りが増加し、現在私たちが知るような賑やかな土地になったのです。
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