NHK大河ドラマ「どうする家康」第二話「兎と狼」では、松平家の菩提寺に逃げ込んだ家康一行を、同じ松平氏の敵対勢力、大草松平昌久の軍勢が包囲したシーンがありました。でも、どうして大草松平は寺を包囲できる兵力がありながら寺に押し込まなかったのでしょうか?
当時の寺は武装していた
大草松平の軍勢が寺を包囲しながら押し込まなかった理由として、当時のお寺が今と違い武装していた事があります。ドラマでも描かれたように当時の寺は櫓を持ち、周囲に塀を巡らし、瓦で葺いた屋根で本堂を覆い火矢が飛んできても建物が燃えないようにし、薙刀で武装した僧兵も置いていました。迂闊に踏み込むと反撃を受けるので、簡単には攻め込めないのです。
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寺は俗世の法が及ばない聖域だった
また、当時の寺は無縁と呼ばれる俗世と隔絶された世界でした。お寺は聖域であり権力が踏み込めない場所だったのです。そのため、合戦で負けた武士はお寺を見つけると駆けこんで庇護を求めるなど、緊急避難の場でした。
お寺が保護された理由
戦国時代のお寺は聖域で軍事力も保有していた事から、多くの戦国大名は、嫡男以外の次男、三男を出家させて寺に入れ学問させていました。寺なら暗殺などの危険が少なく、安心して子弟を預ける事が出来たからです。
また、万が一、当主が早死にした場合には、寺に預けた次男、三男を呼び戻して還俗させて家を継がせる事も出来ました。ドラマで家康の親代わりだった今川義元も元々は寺に預けられていたのが兄の死によって呼び戻された人です。このように寺は戦国大名にとっても必要不可欠だったのです。
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