まるで家康の父母?酒井忠次と石川数正の主君の導き方がスゴイ【どうする家康】

2023年1月27日


ヘタレすぎる徳川家康

 

人間は面倒くさいもので、叱るだけでも褒めるだけでもいけません。NHK大河ドラマ「どうする家康」において、酒井忠次と石川数正コンビが、この叱ると褒めるのバランスを絶妙に取って家康を導いていました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



父母と別れた家康の父母替わり

徳川家康にスパルタすぎる石川数正

 

 

徳川家康は3歳で母と生き別れ、7歳で父と死に別れています。その為、家康を叱ったり、褒めたりする役割は家臣が担う事になりました。その中で父の代わりに家康を厳しく躾けたのが石川数正(松重豊)で、母代わりに家康を庇って褒めたのが酒井忠次(大森南朋)でした。

 

 



どこまでも厳しい数正と陽気な忠次

石川数正

 

石川数正と酒井忠次は、史実でも松平家臣団の筆頭を勤める二大巨頭でした。ドラマでは、どこまでも真面目で厳しい数正に対し、忠次は陽気で気さく、宴会では必殺のかくし芸、海老踊りを披露し、あまり美人ではない妻を自慢するなど家臣全体に慕われている存在です。

 

関連記事:本多忠勝とはどんな人?徳川四天王を様々な角度から徹底解説【どうする家康】

 

 

桶狭間で家康が逃げた時の対照的な対応

ヘタレな徳川家康をボコす本多忠勝

 

石川数正と酒井忠次の役割の違いが対照的だったのは、桶狭間の戦いで今川義元が討たれた事を知って家康が逃げてしまった時です。石川数正は家康が放り出した金陀美具足の兜を発見して「逃げおったか」と憤りを隠さなかったのに対し、酒井忠次は本多忠勝に伴われて戻ってきた家康に「1人になって今後の事を考えておられたのだ」と庇いました。

もう嫌じゃーと嘆く徳川家康

 

もし2人が共に家康を逃げたと非難したら、家康は立つ瀬がなかったでしょう。忠次とて、内心では家康が逃げたと勘づいてはいたでしょうが、まだ19歳の家康では逃げたくなるのも無理はないと考えなおしたのだと思います。

 

 

2人には厳しい側面も

切腹詐欺の徳川慶喜

 

対照的な役割の酒井忠次と石川数正ですが、一方では主君家康の器量を計っている部分もあります。家康が自分の力不足を嘆き、大樹寺で自害しようとした時には、近くにいながら止めようとはしませんでした。「ここで挫けて腹を切るようなら所詮はそこまでのお人、我らは次の主を探そう」そんな冷徹な目をして家康を見つめているのが印象的でした。

 

後に命運が別れる2人

名古屋城

 

徳川家の筆頭家臣となる2名ですが、その後運命が大きく分かれます。石川数正は次第に家康と不和になり、豊臣秀吉に引き抜かれて出奔。一方の酒井忠次は終生家康に仕え、酒井家は徳川幕府の譜代大名として、存続し続けます。その時はドラマでは大分先になるでしょうが、家康と2人の関係がどう変化するのかも注目したいですね。

 

▼こちらもどうぞ

衝撃!徳川家康の家臣団は学級崩壊していた?

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-外部配信