歴史ファンの間で、しばしば語られるお題。「もし本能寺の変がなかったら、歴史はどうなっていたろうね?」
あまりにドラマチックな事件であった為に、とうぜん、「あの一夜がなかったら?」とみんな考えてしまいますし、あの事件の「ある・なし」によってその後の日本史が全部変わっていただろう、とまで考えると、たしかに、いろいろ想像力をかきたてられるテーマです!
この記事の目次
「信長が天下を統一しました」だけでは済まない?世界史レベルのインパクト!
このテーマが話題にのぼるとき、よく出てくるのが、「本能寺の変がなかったら、織田信長が天下を統一していただろう」という話。まず、これは私も同感です。本能寺の変の前夜、織田信長の軍勢は中国、四国、北陸に猛攻を加えておりました。そのいっぽうで、信長は九州の島津家や東北の伊達家に服従を迫る手紙を送り、着実に天下統一の地固めをしていました。
まさに、全国制覇に王手の状態!
「本能寺の変がなかったら織田信長が日本の王になっていただろう」は、ほぼ間違いないでしょう。
でも、ここで想像を終わらせるのも、つまらない。いったん「織田信長が天下を統一」したら、そのあと何が起こったか?そこまで考えてみましょう。思い返せば、織田信長はイエズス会にも好意的な対応をして、スペインとの外交にも視野を巡らせていましたし、日本統一の後は中国大陸への進出まで視野に入れていた形跡があります。
織田信長が天下を統一していたら?
戦国時代はもっと早く終わっていたはずですが、鎖国と安定の江戸時代には突入せず、日本は世界史とダイナミックにかかわる大激動の時代に突入していたかもしれません。
信長の行動が予測不能なだけに広がる夢想!太平洋戦争が400年早くやってきた?
時あたかも、世界はローマ教皇が勝手に下した、「スペインとポルトガルで地球を半分ずつに分けなさい」という許可のせいで、スペインが中南米の大部分を、ポルトガルが東半分(現在のブラジル)を占領し割拠。さらに北米大陸にはイギリスやフランスやオランダが絡んできて複雑化。更に勇気あふれる探検家たちが太平洋の島々の発見に乗り出していました。
ここで織田信長が日本の王になったら、どういう行動に出ていたか?
「朝鮮や中国に進出する」というのが思いつきやすいシナリオですが、もともとが予測不能な織田信長だけに、もっと大胆不敵なことを始めたかもしれません。地球儀をじっと睨み据え、時代をおもいきり先取りして、「将来、大量の資源を生み出すのは、アメリカ大陸だ!」と見越してしまったかもしれません。
かくして、信長がベーリング海峡を突破し、アメリカ合衆国やカナダができるよりも先に、北米大陸に拠点を築きに行ったら? 世界の歴史は大きく変わり、アメリカ合衆国やカナダとはまた別に、「北米の一角に日本人植民地をベースとした巨大国家ができていた」かもしれません!
当然、そんなことをすればイギリスやスペインやポルトガルとも利害が衝突。北米大陸と太平洋諸島を奪い合いが発生する。なんと、400年も先んじて、太平洋を挟んでの、日本対西洋列強の死闘、すなわち「太平洋戦争」が勃発していたかもしれません!
関連記事:戦国時代、フランス、ドイツ、イタリアが日本に来なかった理由は?
本能寺の変がなくてもいつか信長は殺された?どう見ても日本史上で「浮いている」信長
ただ、こんな途方もないシナリオを好き放題に考えていくと、どんどん違和感も増してきますよね。「たしかに信長は天才であり、何を思いつくかわからない独裁者だが、彼が世界進出を思いついたとしても、当時の日本人たちがその構想についていけたかどうか」と。
そうなのです。実は明智光秀による「本能寺の変」の、原因説のひとつに、「明智光秀は、信長が天下統一後に中国攻めを計画していることを知り、その壮大すぎる冒険を止めるためにクーデターを起こした」という説もあるくらい、「独裁者となった信長がとんでもない事業を始める」ことを恐れていた人は多かったと思われるのです。
そもそも日本史では、あまりに強権な独裁者の政権は長続きせず、北条執権家にせよ、足利幕府にせよ、徳川幕府にせよ、内治に集中する安定戦略が好まれる傾向があります。
この日本史の中で、どう見ても「浮いている」信長。いかに彼が天才であったとしても、この日本史のジンクスを覆せるほどの「世界進出」をやろうとしたら、さすがに日本中の反発を食らってしまったのではないでしょうか。つまり、本能寺の変がなくても、その後、信長が強力な独裁者になればなるほど、けっきょく命を狙われることになり、いつかは殺されていたのではないでしょうか。
本能寺の変がなかったら、もっと「ヤバイ」本能寺の変になっていた?
私の意見をまとめますと、「本能寺の変がなくても、あまりに強力な権力者となった信長は、いつかは殺されただろう」となります。ただし、この結論は、それはそれでまた、面白いイフ展開を想像させます。
もしあの時点で「本能寺の変」が発生せず、もっと後、強大化した信長が世界史に割り込んで、西欧列強との「太平洋戦争」に突入した後に、クーデターが発生していたら?信長の急死は、日本国内での権力闘争だけでなく、西欧列強のオモワクまで巻き込んだ、世界史に残る大混乱になっていたかもしれません。
戦国時代ライターYASHIROの独り言
うかつに信長が海外進出を開始した後にクーデターが起こっていたら、外国の軍隊まで日本に入ってくる大事件になっていたかもしれません。となると、あの時点で本能寺の変が起こったのは、まだ問題が日本国内の権力闘争で済むレベルでおさまるタイミングで、なんとか身内で片付けたのだ、と解釈もできる。
このシナリオまで考えると、明智光秀は日本史を、実は、救ってくれた人物だったのかもしれませんね!
▼こちらもどうぞ