NHK大河ドラマ「どうする家康」第3回「三河平定戦」では、松平氏の譜代の家臣である鳥居忠吉が密かにため込んでいた軍資金を家康に披露しました。ドラマで忠吉は岡崎城の勘定役で、今川氏の派遣してきた城代の目を盗んで貯めたと言っていましたが、それは事実なのでしょうか?
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鳥居忠吉は裕福だった
いかにも頑固で融通が効かない貧乏武士に見える鳥居忠吉ですが、彼はただの武士ではないようです。永禄一揆由来という書物は、忠吉を「分際宜き買人」と記し三州一向宗乱記では、「農商を生業とする富裕の者」としていて、これらの記述から忠吉はかなりの財産家であったと考えられます。
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忠吉は矢作川の水運業者
また忠吉の屋敷は三河碧海郡にあり、矢作川に面した水陸交通の要衝である事から、忠吉が水運に従事して蓄えた富を家康に供出したのではないか?という見方も出来ます。考えてみると、今川氏の代官だってバカではありませんから、いくら忠吉が勘定役だったとしても、あれだけの財宝を質素倹約や帳簿の誤魔化しで貯め込めるとは思えず、そこには水運業者としての鳥居氏の持ち出しもかなりあったのではないでしょうか?
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