天下の台所大坂の言葉は江戸時代には無かった

2023年2月15日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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名古屋城

 

「てやんでぇ!大坂は天下の台所、けどよォ!江戸は将軍様のお膝元よォ!」こんなセリフを時代劇の熊さんや八つぁんが使っても違和感を覚えないでしょう。しかし大坂が「天下の台所」と呼ばれた事は江戸時代にはなかったのだそうです。

 

 

あるのは「諸国の台所」「日本の台所」

にぎわう市(楽市・楽座)

 

大坂が実際に呼ばれていたのは「諸国の台所」、あるいは「日本の台所」でした。それが天下の台所になったのは、大正3年に刊行された大阪市史第二巻で、筆者の幸田成友の造語であるそうです。(考証要集より)考えてみると天下人である征夷大将軍がいるのは江戸なので、大坂に天下の冠がつくのは徳川の時代では、違和感があったのでしょう。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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