NHK大河ドラマ「どうする家康」で三河家臣団では策士として通っている男、大久保忠世。やや小太りな点を除くと、なかなかダンディーな忠世ですが、彼には薄毛の悩みがありました。しかし、頭の真ん中をわざわざ剃っている戦国時代の武士に本当に薄毛の悩みなんてあったのでしょうか?
正確には薄毛より髷が結えないのが悩み
戦国時代の武士は前頭部から頭頂部にかけて髪を剃る習慣がありました。なので、頭の中央に髪がない事には特に抵抗はありません。しかし毛量が減って髷を結ぶ事が出来なくなる事については死活問題でした。
ちょん髷になる事を恐れた武士
現代の私達は、前頭部を剃り結った髪を月代に垂らしたヘアスタイルを「ちょん髷」と言いますが、あれは本当は正しくありません。本来のちょん髷とは、髪の毛が薄くなった老人が残り少ない髪を束ね辛うじて後頭部から出しているのをバカにした言葉でした。薄毛になると、どうしても全体の毛量が減り、髷が小さくなって最後には月代に垂らす事も出来なくなり、後頭部で小さな髷がちょこちょこ動くだけになります。あれこそが武士にとっての恥辱で、老いぼれたという証なのです。
関連記事:落ち武者はなんであんな髪型になるの?
銀杏が結えるように努力
若ハゲの武士は、それこそ銀杏が結えなくなる事を恐れ、髪に良いとされる薬を色々試したり、頭皮をマッサージしたりしたそうです。現在の私達が前髪が後退する事を気にするように、戦国の武士も銀杏髷が結えなくなる事を恐れていました。
▼こちらもどうぞ