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インチキくさい三河一向一揆のボス空誓とは何者?【どうする家康】

2023年2月24日


月照(坊主)

 

 

NHK大河ドラマどうする家康、第七話「わしの家」で登場した三河一向宗の首領空誓。説教には納得できる部分もありながら、どこかインチキくさいこの人物。本当はどんな人だったのでしょうか?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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自ら武装し鉄棒を奮う怪力坊主

魯智深(水滸伝)

 

 

空誓は本願寺中興の祖である蓮如の曾孫です。永禄4年(1561年)本證寺9世玄海が加賀一向一揆で戦死したので後任で17歳にして本證寺住持を継ぎました。住職が病死ではなく戦死してその後任に入るというだけで戦国時代の一向宗の武闘派ぶりが分かります。三河一向一揆では、空誓は一揆勢を率い松平勢や援軍の水野勢と戦い、自ら鎧を身につけ鉄棒を振り回し怪力ぶりを発揮したそうですが、戦いは一揆勢の敗北に終わります。

 

 

実際にインチキな所もあった

 

鶴岡八幡宮 建物 モブ

 

 

家康は一向一揆を鎮めた後に三河国内で一向宗を禁止します。天正11年(1583年)家康は20年ぶりに国内本願寺教団を許し復興を許可します。この時、空誓は仲介になっていた本多重次の書状を改竄。家康の許可を得たとして幡豆郡荒川に無断で道場を建立するという事件を起こしました。

 

権力を失った後白河天皇

 

 

重次は「こんな事は前代未聞」として激しく憤り本願寺教団に空誓の処分を求めています。ドラマの通り、空誓には聖人ではないインチキくさい部分もあるようです。それでも1585年に本證寺は一揆以前のように諸役免除を認められているので、やはり有能な人物だったのでしょう。

 

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家康に信じられ徳川義直の補佐を任される

天下を収めた徳川家康

 

 

こんな出来るインチキ坊主、空誓ですが家康の勢力が拡大すると、徳川家に便宜を図るようになり関係が親密になっていきます。そして、関ケ原の戦いの後は、尾張藩主となる家康九男、徳川義直の政治を補佐するよう家康に命じられるまでになりました。こうしてみると空誓はただものではなかったのです。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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