NHK大河ドラマどうする家康、第七話「わしの家」で登場した三河一向宗の首領空誓。説教には納得できる部分もありながら、どこかインチキくさいこの人物。本当はどんな人だったのでしょうか?
自ら武装し鉄棒を奮う怪力坊主
空誓は本願寺中興の祖である蓮如の曾孫です。永禄4年(1561年)本證寺9世玄海が加賀一向一揆で戦死したので後任で17歳にして本證寺住持を継ぎました。住職が病死ではなく戦死してその後任に入るというだけで戦国時代の一向宗の武闘派ぶりが分かります。三河一向一揆では、空誓は一揆勢を率い松平勢や援軍の水野勢と戦い、自ら鎧を身につけ鉄棒を振り回し怪力ぶりを発揮したそうですが、戦いは一揆勢の敗北に終わります。
実際にインチキな所もあった
家康は一向一揆を鎮めた後に三河国内で一向宗を禁止します。天正11年(1583年)家康は20年ぶりに国内本願寺教団を許し復興を許可します。この時、空誓は仲介になっていた本多重次の書状を改竄。家康の許可を得たとして幡豆郡荒川に無断で道場を建立するという事件を起こしました。
重次は「こんな事は前代未聞」として激しく憤り本願寺教団に空誓の処分を求めています。ドラマの通り、空誓には聖人ではないインチキくさい部分もあるようです。それでも1585年に本證寺は一揆以前のように諸役免除を認められているので、やはり有能な人物だったのでしょう。
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家康に信じられ徳川義直の補佐を任される
こんな出来るインチキ坊主、空誓ですが家康の勢力が拡大すると、徳川家に便宜を図るようになり関係が親密になっていきます。そして、関ケ原の戦いの後は、尾張藩主となる家康九男、徳川義直の政治を補佐するよう家康に命じられるまでになりました。こうしてみると空誓はただものではなかったのです。
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