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なぜ、家康の家臣は家康を裏切って一向一揆に参加した?【どうする家康】

2023年3月5日


ヘタレすぎる徳川家康

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」第八話「三河一向一揆でどうする?」では、たかが坊主と一揆勢を侮る家康に対し、次々と家臣が寝返り、家康が疑心暗鬼に陥る様子が描かれました。しかし、どうして家康の家臣たちは次々に一向一揆に加わったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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理由は先祖の松平清康が一向宗門徒を取り込んだから

豊臣秀吉の家臣に転職した石川数正

 

実は、家康の家臣が一向一揆に寝返ったというのは正しくありません。正確には一向宗門徒が家康を見限ったというべきです。何故かと言えば、元々岡崎は一向宗の地盤で、そこに後から家康の祖父の松平清康がやってきて、一向宗門徒を家臣団として取り込んだからでした。家康の家臣は家康の家臣になる前から一向宗の門徒であり、家康よりも先祖伝来の信仰を取ったのは無理からぬことでした。

 

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家康は裏切った家臣を赦す

徳川四天王のひとりで家康に一番近かった男・酒井忠次

 

信仰と忠義の板挟みになった家臣たちの苦しみを家康も理解していました。一向一揆を鎮圧した家康は一向宗の寺に対しては厳しい措置を取った一方で、降伏した家臣に対しては罪に問わず、多くを許しました。こうして家康は三河領内で一向宗の信仰を禁止すると同時に、崩壊寸前に陥った家臣団をまとめ直したのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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