NHK大河ドラマどうする家康第七話「わしの家」では、一向宗の拠点本證寺の寺内町で、於大や瀬名、登与が庶民に変装して踊りまくり、ナンパされるのを期待するような描写がありました。これには、さすがにファンタジーが過ぎて、はっちゃけ過ぎという声もあるかも知れませんが、戦国時代は現代から見ると、かなりふしだらな時代だったようです。
貞操が問題にされない戦国時代
戦国時代に日本にやってきた宣教師は、日本女性が貞操について大事に思っている様子はなく、離婚しても何のデメリットもない事、女性が複数の異性と関係を持って、少しも恥じない事を驚きと呆れと軽蔑の混じった様子で書いています。
キリスト教世界では、結婚は神が仲介人になり、それこそ死が2人を分つまでと教えるので戦国時代の日本のような離婚も問題にならない世界は驚愕の一言だったでしょう。戦国日本では、女性の再婚、再再婚は普通にあり、於大や登与も姉妹ですが再婚同士です。そんな感じなので戦国の女性は夫一筋という人は多くなく、割合奔放な恋愛を謳歌していたんじゃないかなと思います。
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参籠というシステム
平安時代から日本では、大きな神社仏閣は人々に門戸を開いていて、そこでは多くの男女が詰めかけて神仏が夢で見せてくれるお告げを得ようと数日泊まり込みました。これはおこもりとか参籠と言います。
しかし、この参籠は参詣客に個室があるわけでもなく、男女関係なく雑魚寝でした。身分が高い女性は御簾を垂らしてプライバシーを保っていましたが、鍵が掛けられるわけもなく、夜中になると、あちこちでウヒョがおっ始まるという状態でした。日本の昔話には、子宝に恵まれない女性が参籠したら神仏の加護で懐妊したと言う話が出てきますが、その正体はこの男女が仕切りもなく同じ場所で寝る事によって生じたと考えられています。
本證寺寺内町も、つまり…
さて、どうする家康に話を戻すと、於大や瀬名、登与が踊り狂っていた本證寺寺内町は仏閣で、身分関係なく様々な人間が出入りするアジール(聖域)でした。ここでも身籠る事を目指して参籠があったかもしれず、そうなると夜中にはウヒョな事があちこちで起きていたかも知れません。
もっとも姫様は滅多に城からは出られない
もっともドラマとは違い、城主や大名の正室ともなれば、そうそう簡単に城から出る事は出来ません。大体は政略結婚でやってきた半分人質ですから、常になにをするのか監視の目があります。なので宣教師が見たような、自由に恋愛を楽しみ、複数の異性と関係を持つ女性から、城主や大名の正室のような存在は除外されると思います。
そう言えば、家康も瀬名に危ないから城から出るなと何度も注意していましたし権力者の男性に嫁いだ女性は、裕福でも恋愛面では窮屈だったのかも知れません。
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