徳川家康と武田信玄は、年齢も親子ほども違い利害も対立している事からまるで違うように見えますが、その人生を見ていると共通点もありました。今回はどうする家康で対立する宿命にある家康と信玄の共通点を見てみましょう。
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共に息子を殺すつらい決断を下す
家康と信玄の大きな共通点、それは息子を殺す辛い決断をした事でした。家康は築山殿との間に生まれた松平信康を後継者にしていましたが、信康は正室の織田信長の娘、徳姫と不和となり、さらには信長や家康の方針に公然と反抗し乱暴な所業も増えたので、ついに家康により廃嫡され切腹に追い込まれます。
一方の信玄も今川義元の娘を妻にした嫡男の武田義信が信玄の駿河侵攻に猛反対、義信に味方する飯富虎昌のような重臣も出てきたため、義信を廃嫡して自殺に追い込み、四男の四郎勝頼を後継者としています。
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どちらも自省の人だった
武田信玄も徳川家康も自省の人として知られています。どちらも自分を強者だと奢る所がなく、むしろ自分の弱さや狡さに正面から向き合い、哲学者のような自省的な言葉を残しています。それでも戦国大名である以上、国を守り強くするために個人的には気が進まない事もしなければいけません。後には今川氏の領地である遠江領有で激突する家康と信玄ですが、戦いの中で相互に似通った部分を見出したのかも知れませんね。
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